弱気

その渦中にいるときはわからなかったのですが、振り返ると去年までの数年間はちょっとハードでした。去年の秋の異動以降、閑職ではないけど職務ではそれほどハードではなくなりつつあります。これが良いことなのか悪いことなのか正直わかりません。数年間のハードさが身体に来たのか去冬は十二指腸潰瘍になってしまったのですが、ハードではない状況を奇貨として治癒の状況に持ってゆくことが出来てます。だからちょっとはラッキーだったのかもしれません。ただし今冬は蕁麻疹が出るようになってきちまい、潰瘍のときと同じように、でも違う科のドクタから「ストレスをためたりせず、あまりがんばりすぎないように身体を休めて」という趣旨の助言をもらってます。お給料をもらいつつ組織に属してる以上は・生きてく上ではそれってなかなか難しい助言です。が、ただ「生きるってなにか」ってことにも直結して来るのですけど二年連続で違うドクタから同じようなことを云われると、考え込んでしまうところがないわけではありません。いままでの生き方や働き方を恥じるつもりはないけど、おそらく身体がうっすらと悲鳴を上げはじめてるわけで。いままでどうりはちょっと難しい。
体力とは別次元の問題としていままで出来たことが出来なくなるというか、こうやって年をとってゆくのかもとうっすら自覚しました。ここのところちょっと弱気です。40にして惑わずってありますがあれたぶんウソです。私は40過ぎても惑う・戸惑うことばかりです。
はてな今週のお題が「2018年の抱負」です。「去年今年貫く棒の如きもの」っていうすさまじい俳句が虚子にありますが、来年は今年という棒の延長線上と考えれば身体が激変するとは考えにくく、ほのかにエロくて渋いおっさんになるとかの秘めた目標もこっそり保持してるのですがそれは横に置いておくとして、最適を模索しながら「健康に留意する」くらいしか思いつかなかったり。