伊勢へ

週末の一日、伊勢へ行ってました
○遡及日誌第一日目
名駅のナナちゃんです。

以前は裸だったのですが、最近は服を着るようになっててこの日はマラソン大会を記念してマラソンランナーの格好をしてました(女子高生の時もある)。ナナちゃんに見送られながら

臨時の参宮線直通快速で南へ。事前に指定席をとっていたのですが、ほぼ満席。
【外宮へ】

伊勢市駅まで行き、まず外宮へ。写真は外宮の正宮です。結界のある門の外から撮りたいと考えたのですが、参拝客が絶えません。横からあんまり人が映らないように撮影。伊勢神宮には狛犬もいませんし、しめ縄もありません。神宮でつかってる木材はヒノキです。建てたばかりの新宮はすごくきれいで、ああこれは建物ではなくて工芸品の世界なのかなあ、とも思えます。
さて、伊勢神宮はおおまかにわけて天照大御神を祀る「内宮」と豊受大御神を祀る「外宮」にわかれてて、さらに内宮と外宮に正宮という天照大御神豊受大御神がいる宮があり、そも周囲にいくつかの関係する神様を祀る宮がありまして、それらの全体を神宮といいます。で、「外宮」へまず行きました。伝統というか風習というか、外宮先祭(もしくは外宮先拝)といいまして外宮に行くのが一般的で、天皇・皇族も同じだったりします。外宮にいる豊受大御神はもともと丹波にいたのですが、「おれ一人じゃ…」ってんで天照大御神が迎えた神様です。おおまかにいえば天照大御神の食べる大神饌をまもる神様かつ(いわゆる)農業・産業の神様です。

去年、伊勢神宮遷宮と相成りました。現在古いのと新しいのが並んで建っています。左奥の生成りの色した建物が去年建てたもの、右側が20年前のものです。形式は同じです。遷宮というのは、伊勢においては同じ様式のものを右と左に交互に20年ごとに建てて神様を遷すことで、それを繰り返しています。中断がなかったわけでもないのですが、二百年前や三百年前にもここに同じものがあった、ということであり、この先も20年後、40年後、60年後、100年後、同じ構造の同じものが建ちます。不変であるということは目にすると未来とか過去というものの存在が怪しくなって一瞬くらくらしてくるのですけど、でも20年後には同じものが新しいやしろが建つはずなので、それは未来のことなのでやはり未来はあるんすが。つか、常に若々しく、とはいうものの現物をみてあれこれ考えると、なぜこんなことをしてるのだろうとか、永遠というのは変わることがないとか進歩が無いことなんだろうかとか、それがシステムとして継続してるのは日本の思想として変わることや進歩というのはもしかしたら好ましくないものなのだろうかとか、いやそれは考えすぎかなあとか、そもそも物質は本来的に変わらないので変わってゆくのは人間だけなんじゃないのとか、どんどん誇大妄想的というか脱線してまとまりません。
「去年今年貫く棒のごときもの」という高浜虚子の俳句があるのですが、なんとなく伊勢神宮もそこに問答無用で存在する年のような「貫く棒」であって、人間というのは年ごとに変化生長しますが、神や年というのは人間の存在に無関係に存在するものなのかもしれません。

正宮のほか、別宮というのがある、と書いたのですがここも遷宮の対象になります。右から左へ、左から右へというのを繰り返します。

豊受大御神が居なくなった元正宮の古殿地(といっても20年前のもの)です。20年経過する古殿地のものは陽光にやけてますが、本来は現役のはずです。つか、ヒノキというのは本来何百年もつものなのですが(たとえば唐招提寺は1200年以上経た部材がまだ現役であったりする)なんでそんな20年で壊しちまうのだろう、ということをどうしても考えちまうのですが、被災した東北の神社の再建に資材が転用される、ということを知ってからは(ヒノキは虫食いに強いですから)全国の材木資材の供給基地の役割もあるのかなあ、とも思うようになりました。
外宮の入り口にせんぐう館という建物があり、伊勢神宮の概略や遷宮のあらましに関しての展示施設というかガイダンスセンターがあります。そこで聞いてああなるほどなーと思ったのが、明言は避けてたものの、遷宮がはじまった当初(持統帝のころ)は備蓄米(糒)を20年備蓄せよという律令があり、それに関係してるのではないか、と。ここから先は推測なのですがおそらく未来を考えて物資を備蓄して、それを神様に捧げる≒神様の名をつかってよほどのことがないかぎり浪費しないようにしておく、という知恵なのかもしれません。また神宮でつかうヒノキはいま木曽と伊勢のものが混在してるのですが、いずれ伊勢ですべて賄うことを大正時代から計画中で、大正時代の結果が今回やっと一部利用可能になったことを教えてもらったのですが、神宮の歴史からみれば短いですが、人の一生より息の長いプロジェクトも継続中です。
猿田彦神社
内宮へ行く前に猿田彦神社へ。ニニギが天孫降臨をするときに道案内をした(神話がわかんないとちんぷんかんぷんですが、ともかく道案内をした)神様を祀ってるところです。道案内というか、導きの神様です。ゲイじゃねえ、芸事の神様でもありますが。

去年の春あたりまでずっと私は右往左往というか「どう処理していいのかわからない」ことを頭を抱えながら仕事してて、全体像をつかんだあと手当たり次第判らないことと判ることというのを区別しつつひとつひとつわからないところをはっきりさせながら同時並行で複数あるわからないところの解明と課題の解決策を模索し、問題はその答えがひとつとは限らないと考えうるものはいったん出た答えが妥当かどうかというのも検討し、解決策を模索するうえで仮説と仮の解決策がそれが妥当かどうか会社内・会社外の専門職に訊いたりしてました。彼ら・彼女らは自らの知識の限界を示しつつ「わからないことはわからない」ということをはっきりいい一緒に思考・援助してくれたのですが、これはほんとに誠実な人にあたったなあと縁を感謝してたのですが、導いてくれたのはもしかしたら(写真も撮らず、お守りもなにも買わなかったけど)2011年秋にこの神社に来てた御神徳かも、というのが伊勢に来た非科学的理由のひとつです(なげーよ)。
私はけっこう弱い人間で、非科学的なものをちょっと信じてしまう弱いところがあります。取っ組み合った課題の成功報告をしたかったのです。今回、それができました。
【内宮】
内宮は外宮からバスで15分くらい離れたところにあります。

五十鈴川という川を渡るのですが、川こにかかる宇治橋遷宮の対象です。さすがに全部ヒノキというわけにはいかず、基礎はコンクリ。

五十鈴川には手洗い場があって手を清めることができます(これとはまた別にちゃんとした手洗い場が存在します)。もしかして「水に流す」という表現はここから来たのかなあ、などと愚考するのですが、あってるかどうかはわかりません。

内宮の正宮、天照大御神がいる(ことになってる)ところです。ここはおのれの小さな願いってのを云っちゃいけなくて、神への感謝とか天下国家の安泰を祈らなくちゃ、の場所です。

外宮と同じく古殿地というか、神様の居たところが解体されずに残っています。

正宮のそばに荒祭宮ってのがありまして、ここにも天照大御神がいます。ややこしいのですが、神様は二面性があって「にぎみたま」というやさしい側面と「あらみたま」という上品に言えば積極性、下品に言えば荒ぶるところがあると考えられ、荒祭宮には天照大御神の「あらみたま」がいます。なぜ分けたのか、その理由はわかりません。おそらく神様は常にポジティブな優等生ではなくネガティブな劣等生的な面もあるのかも。けっこう印象的で、どっちかが無いというのはうそになるからか。
【内宮門前】
内宮の門前町です。

意図的に江戸期のような建物のある商店街にしてあります。おはらい町ともいうのですが、けっこうな人出でした。

お約束の赤福を。お茶つきで280円也。美味かったです。
【二見浦・鳥羽水族館
内宮から東へ向かうと二見浦というところがあります。

夫婦岩ってのがあって、岩礁のようなところにしめ縄がかかってて、運が良ければ富士山が見えたりするのですが、そんなことより面白いよなー、と思ったのが

緑色片岩が露出してる地層のほうです。三波川変成帯って昔やったよなー、と。緑っぽいのがなんとなくわかりますかね。中央構造線(断層)の南側にあるやつで、地中奥深くで形成されたものがなんらかのかたちで地表に出た、と考えられてますが謎があるやつです。考えてみたら伊勢神宮中央構造線のそばにあるんすね。

さらに東進して鳥羽水族館。かなり大きいところで、まともに見るとおそらくどんなに急いでも半日くらい必要だったかも。閉館近くまでいたのですが見残しがあります。絶食期間が長かったダイオウグソクムシの飼育・観察・解剖で有名になりましたが、ワンとなくイヌガエルとかミミをつかって泳ぐミミイカとか、いわゆる「へんな生きもの」にも焦点を当ててます。またオモダカなどの水辺の植物の紹介なんてのもありました。いつかまた来たいところです。
この日は鳥羽から近鉄で京都に入り。かなり濃密な一日を過ごしました。
○遡及日誌第二日目
疲労がなかったか、というとウソになりますが、

京都ではちょっと用があってそれを済ませてから帰京しました。、