短歌の効能

きっと繰り返しかいていることなのですが。

百人一首の中に「あいみてののちのこころにくらぶれば昔はものを思わざりけり」ってのがあります。百人一首を覚えなくちゃいけない課題のあった10代の頃、つまり、わけのわかんないのをたくさん選びやがって!という藤原定家に殺意を覚えていた頃、正直「なんのこっちゃ」でした。数年を経て童貞を失っておよびうしろの処女を失って(よいこのみんなはわかんなくていいです)から、脱がされる・脱ぐことはわかってるのにその頃からパンツ・勝負パンツというのを気にするようになっています。以前はそんなこと気にもしてなかったことを考えると「昔はものを思わざりけり」だったわけで、ああおのれの変化を歌ったものであったのか、と理解しました。機械的に覚えたことが血肉になった瞬間です。

お題をひねって好きな短歌を語るとしたら、「昔はものをおもわざりけり」の歌であったりします。

この経験からもしかして短歌というのは体感したことを書いているのではないか、と仮説を立てています。とはいうものの法学部に入ってあほうがくぶ卒で、あってるかどうかはわかりません。ただはてなハイクがあった頃、日本語を操る能力に自信がなかった頃にリハビリを兼ねて彼氏と伊勢に行ったときの経験を短歌のスレに投げてて

内宮のそばで求めし鮫小紋誰に渡すのその伊勢土産

とか書いていました。文学と縁がありませんから短歌が短歌たらしめるのはなんなのかというとさっぱりわかりません。短歌になってるかどうかもわかりません。でもおのれのいくらか黒い感情を知れただけでも短歌に触れた価値はあったのかなあ、と。