まわりとうまくやらなくちゃいけないということがどこか強迫観念になってることがあります。ひょっとしたら組織勤めの人間なら内心のどこかにあるとおもうのです。うまくやらなきゃというのがあれば、軋轢が少なくてうまくいく確率が高いからです。失敗したくないってのがどこかにある。
ただ、それを人間関係全般に拡げるとたぶんイタくてしんどいのかも。
メシを喰いながらとかお茶しながらとか、思うところあって素を見せてくる相手にどこか気を使わなきゃ、っていうのはほんとは変に思えてくる。根底にある「優しくしてあげなきゃ」「話聞いてあげなきゃ」って、してあげなきゃっていうのが、たぶん変。普通の人はそれが自然に出て来るんだろうけど、私はたまに出来ないことが有る。人間関係を円滑化するために「良い人、良い子」を偽装します。でも「良い人、良い子」を振舞っていたほうがいいときに、「良い人、良い子」でいなきゃってのが「きついなー」ってとき、他の人はどうしてるのだろうか、とか思うときがあります。さらに失敗したくないから気を使うけど、ほんまに気を使う必要はあるんだろか?相手に慮りすぎなのだろうかってふと思うときがないわけじゃないのですが。
もっとも、無駄にはやめるなよ指に力入れんじゃねーよばーか力入れんのは手首だよヘタクソ、とかは冷静に思ってはいても「気持ちいフリしてあげなきゃ」などと、そういうときですら相手に慮ってたこともなかったわけではないので偽装は筋金入りです。