人生相談を聴くには向いてない性格

いつものようにくだらない話を書きます。

計画停電とか節電要請があったころタクシーで目的地から動いているJRの駅へ移動してるとき車内のラジオがかかりっぱなしで、いまとなってはどの放送局のなんという番組かもさっぱりわからないのですがそれが人生相談のような番組で、その番組内では相談者曰く「奥さんが突然消えてどうしていいのかわからない」というようなことを最初は訴えていました。最初はとかいたのはその奥さんが経理を担当していたらしく途中から「経営している会社の行く末も不安で」という方向も加わって、途中から人生相談のようで人生相談とは異なるような様相になっていったからです。それらに対して番組がどう答えたのかはJRの駅に着いてしまったので聴いていません。ただ、その人がなにを考えているのか?どうしたいのか?がさっぱりわからず正直イライラしてきて、いくらか主語が大きいのですが

人は我が身に起きたことを簡潔に他人に説明することが出来ないことがある

ということと

なにかを云っているけど自分の考えがそこにないとイライラする

場合があるということをメモをしたことを覚えています。やけに印象に残ったのです。

話はいつものように横に素っ飛びます。

その数年後に偶然チャンネルを合わせていたNHKテレビで阿川佐和子さんとふなっしーの対談を放送していてその中で

ふなっしー「人に対して興味を持って聞くっていうのはすごい難しいことだと思うなっしな」
阿川「みんな自分の意見を主張しないと相手に理解してもらえないと思っている人が多いらしいんだけども、実は、人間は、自分の話を聞いてほしい人の方が多いと思うの」
ふなっしー「あ、あ、そうなしな。特に女性はそうなしな」
NHK総合・SWITCHインタビュー(阿川佐和子×ふなっしー

というようなことを阿川さんとふなっしーは語っていました。阿川さんの

実は、人間は、自分の話を聞いてほしい人の方が多いと思うの

という説を知って上記の人生相談のラジオを想起して、ああ、あの相談者は自分の話を聞いて欲しかったのだな…と、腑に落ちています。イライラしたおのれを恥じたのと同時に、イライラした事実を前に人に興味を持って話を聞くというのは難しいなっしな…と改めて考えさせられ、脳内に梨汁が満ちてるのかどうかは別として私は人生相談をラジオで聴くには向いていないことを痛感しています…ってはてな今週のお題「ラジオ」を引っ張ったはいいけど、なんだかラジオと関係がありそうであまりなさそうな毒にもクスリにもなりそうにないことしか書けないのでこのへんで。