「回し呑み」のこと

柳家喬太郎師匠の「時そば」のまくらにコロッケそばにおけるコロッケについて描かれたものがあります。動画でそれを知ったのですがいちど聞いてしまうと忘れられなくて、箱根そばなどでコロッケそばを見るとつい「ふふっ」となるのを必死に堪えることがないわけではありません。立ち食いそばの店にも「黙食」と書いてあることがあるのですが、いまのところコロッケそばを見て思い出し笑いで黙食を破ったことはありません…って書き方がまずかった。コロッケそば以外の理由でも立ち食いそば店で黙食を破ったことはいまのところありません。

秋に山梨へ行き大浴場のあるところに泊まり足を伸ばして入るお風呂を満喫してきたのですけど、そこでは「黙浴」と書いてありました。目が良いほうではないのでシャンプーとリンス、ボディソープは間違えないように確認するのですけど、視認性のよいものではなかったのでまごついていると見かねて「それリンス」とそれとなく注意を受けています。他に人が居なかったからセーフのはずですが、黙浴は破っています。

話はいつものように横に素っ飛びます。

年末年始に録画しておいたものをここ数日少しずつ視聴してて、歌舞伎と落語を比較したBSフジの番組で立川談笑師匠が古典落語の「二番煎じ」を少しだけ演じていました。本筋とは関係ないのですが興味深かったのは談笑師が「いまと違って当時は杯や茶わんは一つで酒を回し呑みしていた」という趣旨の解説していて、その様子だけが落語の一部に残っているようで。以前読んだ本(「江戸幕府感染症対策」安藤優一郎・集英社新書・2020)で享保の27年間に疫病が12回程度あったことに触れていたのですが、おそらくその飲酒の習慣がいくらか関係していてもおかしくは無いような。話を戻すといまでも屠蘇やお流れ頂戴とか杯の回し呑みが無いわけではないけど、いつのまにかほぼ廃れて滅多にありません。その回し呑みを止めたのはいつのころからかはわからぬものの、ここから先は人力詮索になってしまうのですが、やはり過去の感染症対策の影響なのかなあ、という気が。

黙食や黙浴がコロナの後も定着するかどうかはわからぬものの、杯の回し呑みのように、年表にあらわれることのない歴史とも文化ともつかぬものって音もなくすっと消えてゆく・変わってゆくのかもなあ、と改めて思いました。最近、通勤途上にある居酒屋さんがいつの間にか黙食でも商売できそうな定食屋に転身してるのに気が付いたのですが、実際に世の中ちょっとずつ変わってきてるような。