「宵越しの金は持たない」考

勤務先のそばの地下街は人が少なくてほんと出来の悪いSF観てるようでこんなのめったにないのでいちど見学をお勧めします…と不謹慎なことを書きたくなるのですが、東京を取り巻く状況はやはりシビアで、それについて書けばしんどくなってくるので、今日も毒にも薬にもならぬ関係ないことを書きます。

三方一両損という落語があります。その落語はとある江戸っ子の左官が印形と三両入った財布を拾うところからはじまりまして、その財布に書きつけがあったので書きつけどおりに財布の持主であろうある大工のところへ行き、財布を渡そうとします。しかしこの大工も江戸っ子で(よりによって酒が入ってて)、財布と書きつけは引き取ったものの、おれは宵越しの金を持たない主義でよ、いちど懐から出た金はもうおれのものじゃねえからよ、礼は言うけどその三両はおめえが引き取ってくれ、といいます。そこで左官がすかさずほんとですか?と引き取れば話はすんなり行くのですがそうはいかず「拾った金を懐にいれることなんてできるわけねえだろう」と言い返し、喧嘩になります。仲裁に入ろうとする人もいたものの騒ぎになり、はては大岡越前が裁くことになります。結果どうなるかは落語をお聞きいただくとして、問題は大岡越前です。この大岡越前享保年間に町奉行にはなっているのですが、江戸落語が盛んになるのはそれから半世紀くらいあとです。なのですべておそらく後世の人が作った創作であろうと思われます。もちろん私は日本文学科でも史学科でもないあほうがく部卒なので保証はできません。でもって、問題はと言っておきながら大岡越前はほんとはわたしはどうでもよくて、この三方一両損でずっと気になってるのは「宵越しの金は持たない」のほうです。

江戸時代には職種や身分によっては講もしくは無尽というのがありました(たとえば加賀藩の武士階級の無尽については磯田道史先生の「武士の家計簿新潮新書)」に記載があります)。左官や大工の場合、太子講といいまして聖徳太子信仰がありまして聖徳太子を崇敬していたのですが、それが工賃の話し合いの組織でありつつ、資金を融通しあうような頼母子講(≒無尽)の役割を兼ねてることもあった(はずな)のです(4代前にさかのぼると大工だったので太子講についてうちに資料があればいいのですが残念ながらさすがにありません)。もし大工や左官が「宵越しの金を持たない」主義だったら太子講は成り立たないことになっちまい、なので推測の域をでないのですが「宵越しの金は持たない」も実はフィクションなんじゃないの?とうっすら疑っています。

もちろん江戸っ子は大工や左官のみで成り立ってるわけではないです。が、おれんところのがいちばん良いとどこの町会も考えてる浅草の三社祭の神輿のように見栄っ張りなところがあったりします。それらや落語が江戸の人間は金遣いが荒い的な印象をうんだのではないかな、と。

☆を頂いている方がちらっと江戸っ子の「宵越しの金は持たない」ことについて触れられてて、内容はほぼ関係ないのですが、読んでてつられて積年の疑問を思い出しました。個人的には放蕩に憧れがないわけではないので「宵越しの金は持たない」酒の呑み方をしてみたいと思いつつ、いちど呑みすぎて吉祥寺より西へ帰らなくちゃいけないのに乗換駅でも何でもない浅草橋駅から130円区間の切符を持ったまま終電後の桜木町駅に居たことがあるので怖くてやっていません。宵越しの金を残しながら呑む方が安全かなあ、と。