あなたは精神科医ですか?


けっこう書いていることなのですが、しつこいようですが人間というのは内心はわかりません。そう簡単にわからないからこそ心理学や精神医学が発展して、同時に百家争鳴状態だとおもうのです。精神科医のなかでも見解が分かれる病気ってあるようです。


私は一介の市民です。たまたま、分裂病人格障害、行為障害といった単語の意味は判ります。それ以上でもそれ以下でもありません。


ちょっと前までは実は精神科の先生がテレビに出てきて実際会ってもいない人に対して何かコメントするということは有り得ませんでした。それが解禁になったのはたぶん西鉄バスジャック事件の頃からとおもいます。それが暗黙の了解であったのか鉄則だったのか、業界内でどういう内規があったのか知りません。それとも倫理観からかも知れません。素人目からも診断や分析というのは本来実際に会って目の前でやるべきことだと私はおもっていました。ついでに申し添えますが私は精神科医ではありませんし、精神科にかかったことの無い人間ですから詳しくは存じ上げません。町沢静雄先生の著作は読んでおりますし、たぶん何らかの意図があって町沢先生は発言を続けてるんだとおもいます。プロが責任を持って発言を続けることに異議を申し立てるつもりは無いのです。たぶん責任を引き受けてやってらっしゃる方もネット上にいると思います。


ただ気をつけなければならないとおもうのは、精神科医臨床心理士というのは英検2級や運転免許と違うので、そうそう多くの人が詳しいわけではないとおもうのです。
ですから、ネット上での分析や診断、精神医学、心理学的側面のコメントをしたりそれを鵜呑みにされるのは如何なものかとおもっています。なぜってしつこいようですが、医療にせよ、裁判にせよ、相手に起きている事実については相手と相対して判断ができる代物だからです。違うでしょうか?
ネット上では確かに錯覚として隣にプロがいるかもしれないという感覚になります。しかしそれはほんとに錯覚だとおもいます。みえないんですよー、相手って。見えてます?わたし今半裸でこれかいてますけど。
だって目の前にいないのにそもそもどうやって判るというのですか?相手がどういう状態かを。
誰が責任取るんですか、その発言?
匿名ですよ?
そもそも精神医学や心理学に対して多少心得のある人間はまずそういうことをしないとおもいます。妙なたとえで恐縮ですが、がん患者が別のがん患者に対して、民間療法を薦めないのと同じだとおもうのです。
また同じくらい危険だとおもうのは自分の体験談を他人に当てはめることです。
どうやって同じと判断できるのでしょうか?
会ったことないのに。


またたぶん同じ苦しみとかを見ていられないからって、分裂病人格障害、行為障害といったことについて善意でコメントされる方が多いとおもうのです。そのお気持ちはわかります。しかしそれはレッテル張りに近い行為で(たとえ善意だとしても)レッテル張りされたほうは迷惑な話じゃないかとおもうのです。
とても危険な行為と考えます。


傍観を薦めてるわけではありません。なにができるか、一緒に考えるところから、相手に伝わらなくても良いからはじめるべきだとおもうんですよ。
たまたまみかけた、あるところのコメントに義憤を感じて書き飛ばしました。
喧嘩を売ろうってつもりは無いのですが。念のため。