最近はなせばわかる、というのが嘘なのかもしれない、という気がしてきました。コミニケーションというのは相手との相違を認識した上での意見交換というのが最大の目標だとおもうのですが、わかりっこないですよー!というスタンスや、単なる意見表明をして目立ちたいだけ!というのがあるのを知ることができたからです。
お世話になってるチャットで何度か意見表明したのですが、繰り返すと、言論の自由と何でも言ってよい自由は違うのです。ネットではほっておいても良いのかもしれませんが、リアルではものを評価したりとか、評論や、意見表明というのは実はそれなりのバックボーンだとか、責任が必要です。言いたい放題いってよいというものではありません。最高裁判例変更について批評するにはそれなりの理論武装が必要なのと同様にネットでも、理論武装や責任をふまえて発言しないとそれに説得力は伴いません。
私自身はそれなりに責任を考えて他人のところにコメントしたり自らのエントリをしているつもりです(それでこのていたらくかい?との声きこゆ)。結果的にはどんなコメントやブログのエントリであっても、意見をきいてほしいから目立ちたい!という本質は同じかもしれません。しかし電波系や単に目立ちたいだけ!というひとと誠実なコメントした人の差はないわけではないとおもうのです。それは上品と下品の差というか、本番ストリップをして目立つか、藤娘を踊って目立つか、の差かもしれません(ただ、エンタテイメント性のあるストリップってのもかんがえられるんですけどね)。その差が何かを分ける、実は大きな別かれ道なのかもしれませんけど。