私はかねてからブログというのはストリップみたいなもので、興味をもってくれた人はじっと見てくれてるし、単に好奇心から見ているだけの人もいると思っていました。この仮説をもって自分や他人のブログを眺めていると、それが正しいのかどうかは別論ですが、あらためて社会というものをけっこう勉強した気がしています。ストリップしてるように見せかけてまったくそうでない人も居ますし、他人の視線というのを利用しながら、つまり他人を意識しながら自己を相対化させ、ストリップしながら自我を再構築してる、というひともいます。それを批判するとかそういうつもりはありません。表現は自由であるべきだと思っています。


どうでもよいのですが。
疑惑を晴らすため、最近こっそりと日焼けした自分の上半身の裸をネット上で公開しました。たいしたことありませんが興味のある方は探してみてください。で、やってみてわかったのは、そういう自分をさらけ出すというのは案外官能なのかもしれない、ということ。まじ、露出狂?とかおもったのですがなるほど、ラを公開したくなる人のきもちがすこしだけわかりましたし、自分のたち位置をはっきりさせるために少しだけ判りにくいながらも性癖も公開しましたが、踏み絵なんですね、こういうの。テキストにはまったく関係ないですけど。
自分の意見とか、ある場合に、他人がそれでもついてきてくれるかや、自分の自我がどれだけ他人の容赦ない視線やなにやらに耐えられるか、の。
単にマゾだけなんじゃないの?という説もありますが。



ブログをはじめるまでものを伝えるというのはけっこう技法が必要なんじゃないかと考えていました。
わたしはこのダイアリーを始めて三ヶ月くらいたちますが、ともかく注意深く書いていれば伝わる人には伝わるし、それって電波系かも、ともおもっています。←いわゆる巷間伝えられている電波系じゃなくてですよ。逆説的ですが、言語のコミュニケーションというのはこうも伝わらないものか!と思い知らされたこともあります。音楽のほうが伝わるかもしれません。
また付け加えると、技法だけあって内容がないものや伝えたいことがあってもその技法が未熟な場合や、さらに両方がない場合は空虚である、ということも知りました。
私はけっこう小難しい理論を述べているように思われてるらしいのですが(あるところできいた)ものごとを正確に知らせようとするとその罠に陥ってしまうみたいです。
私はこれを日本語で書いているのですが、じゅうぶん伝わっているでしょうか。最近日本語でもほんとは伝わらないんじゃないか、という恐怖があります。故に伝わらないことを前提にいろいろ試行錯誤しているつもりなのですが。で、今日もまた、多くの人にはわかって貰えないかもしれないと思いつつ、一人寂しく服を脱ぎ、じゃねえ、キーボードを叩いています。