『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』を最終話まで視聴して(もしくは贈与と毒について)

MXはなぜか夜にアニメを流していて、今冬すべての回をきちんと視聴してるわけでは無いもののチラ見していたのが『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』(佐伯さん・GA文庫)です。いくばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが…というより簡潔に云ってしまうと、「隣室に住んでいる高校生の男女がそれぞれ全く何の下心がないのに結果的に距離を縮めてゆく物語」で、それ以上でもそれ以下でもありません。そして万人受けする作品かというとそれほどでもないです。

もう幾ばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが、主人公のあまねくんに恩義を感じたヒロイン真昼さんがご飯を作る約束をし、対してその結果として食生活が充実した主人公は作って貰いっぱなしはよくないと考え贈り物を渡す回があります(2話「天使様と夕食」)。詳細は本作をご覧いただくとしてその回に限らず物語の中では2人の間には相互に有形無形の贈り物が複数往来します(無形と書いたのは物語の進行とともに「何でもいうことをきく券」というような微笑ましいものも出てくる)。物語の底に伏流水のように流れているのが贈与互酬の概念で、ひらたく云えば「なにかを貰ったら返さねばならない」という行動で、特に主人公のあまねくんはそれを強く意識し、食事が美味しかったらそれをきちんと口にし、なにかを贈ると決めた場合どんなものが良いのか真剣に悩みます。そのあまねくんの行動は決して理解できぬものではありません。対して真昼さんはあまねくんからもらったものを大事にしますし、あまねくんが美味しいと口にする料理に手を抜きません。その真昼さんの行動も理解できぬものでもないのです。

回を重ねて物語がすすむにつれ、お互いに肝心なことは明言を避けつつも(この微妙さは向田邦子が現代に転生して高校生の話を書いたらこうなるかな感があります)、互いに以前のようには振る舞えなくなってゆきます。話がいつものように横に素っ飛んで恐縮なのですが、ドイツ語のgiftには贈り物という意味のほかに毒という意味合いがあるのですけど、その意味がいくつかの贈り物が介在するこの物語でなんとなく理解できた気がしました。もちろん作者がそれを意識したかどうかはわかりません。が、どうしてもそのドイツ語が頭をチラチラし、単純な話にもかかわらず飽きずに視聴してしまい、唸らされています。

さて、くだらないことを2つほど。

ひとつめ。作中、あまねくんの部屋で真昼さんがフライパンをかなり加熱してバターをたっぷり入れる必要がある半熟のふわとろオムライスを作るシーンがあります。しかしあまねくんの部屋はガスではなく火力が強くないIHです。フィクションにツッコミを入れるのは不粋かなあと思いつつ、え?できるの?と引っかかっています。

ふたつめ。物語の終盤では真昼さんが積極的であまねくんに小悪魔的に若干からかうように「かわいいひと」と語りかけます。「かわいい」というのは日本語ではからかいの意味がゼロではないのでその言葉のチョイスに唸らされています。が、それは私の仕事ではありませんが訳すの大変そうだよなあ、と。英語のcuteとかドイツ語のmein haseとかだとなにかが零れてしまうような気が。

なんだかいろいろ書いていますが、はてなにはアニメや漫画やラノベに詳しい人が多くいるはずで、それほど詳しくないのでボロが出る前にこのへんで。

贈与と毒(もしくは『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』を視聴して)

いつものようにくだらないことを書きます。

MXはなぜか夜にアニメを流していて、最近『お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件』(佐伯さん・GA文庫)というのをすべての回をきちんと視聴してるわけでは無いものの今冬チラ見していました。いくばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが、隣室に住んでいる高校生の男女がそれぞれ全く何の下心がないのにもかかわらず結果的に距離を縮めてゆく物語です。栄養やバランスを考えた料理をヒロイン作ってもらうことになった主人公は貰いっぱなしはよくないと考えて贈り物をし、対して貰ったほうはその贈り物を大事にし、有形無形の贈り物を介してるうちに相互に隣室の住人のことを考えてるようになり、主人公曰く「ダメ人間になってゆく」軌跡をいまのところ(8話までは)淡々と描いてます。詳細は本作にあたっていただくとして、貰いっぱなしは良くないと考える主人公の思考は極めて自然なのですが・貰い物をしたヒロインが主人公の舌にあったものを作ったりするのも極めて自然なのですが、giftは英語で贈与ですがドイツ語では毒という意味をも持ち、贈与というのはひとをダメにする毒なのかもしれぬ、と(フィクションからなにかを読み取るのは愚かと知りつつ)妙に腑に落ちています。念のため書いておくとダメ人間といっても微笑ましいレベルのものです。

さて、こどもの頃に「知らぬ人からものを貰ってはいけない」と教わりました。それは「返さないかわりに貰った相手に従わねばならない」というのを未然に防ぐためのもので、おそらく「ものを貰ったらその分返さなければいけない」という人間の習性に根差したものと想像できます。賄賂の根っこにあるのもそこらへんかもしれません。なんかこう、書けば当たり前のことかもしれませんが上記の作品であらためて気が付いています。アニメを眺めて普通はそんなことまで考えないかもしれませんが。脱線ついでにもう少し書くと、ドイツ語におけるgiftの毒という意味はギリシア由来であることを最近教えて貰いました。それをドイツ語に組み込んだのは過去に贈与というものに苦しめられたのかなと人力詮索するのですが、どんな歴史があったのか気になるところではあったり。

話を元に戻すと、どこにでもありそうな物語がいまのところ続いています。異世界に飛ぶわけでもありません。ただ、人がちょっとずつダメになる過程を丹念に眺めるというのはフィクションであっても飽きないものだなあ、と思わされています。もしかしたらそれが作者が傍観する我々に贈与した毒で、飽きずに眺めてしまうのはその副作用かもしれないのですが。

『ぼっち・ざ・ろっく!』を視聴して(もしくはぼっちちゃんが置いていったもの)

世の中に「陰キャ」という言葉があります。残念ながらこの言葉の意味を他人に説明できるかというと私は怪しいです。これから書こうとしてる『ぼっち・ざ・ろっく』の主人公であるぼっちちゃんこと後藤ひとりは「陰キャ」ということになっていて、かつ、ぼっちちゃんを贔屓する他のバンド廣井さんも(「陰キャ同士は惹かれあう」というセリフがあったので)「陰キャ」ということになっています。なので「陰キャ」が判ってない私が書くのは妥当ではないかもしれないと思いつつ、もったいないので書きます。

いつものように幾ばくかのネタバレをお許しください。

『ぼっち・ざ・ろっく!』は1人でギターを弾き、かつ、ネットでは匿名で挙げた動画に多数の視聴者がいる女子高生である後藤ひとりことぼっちちゃんが、はじめてバンドを組む物語です。肝心かなめなことを書くとぼっちちゃんは(物語のはじめのほうでは完熟マンゴーの段ボールをかぶって演奏する程度に)対人恐怖とまではいかないまでも、人と会話するのが・人と言葉による意思相通するのが得意なほうではありません。そこらへんが面白おかしく描かれてはいるものの、おそらく物語の本質はそこではないはずです。

管楽器しかやったことないので大口叩けませんがあえて叩くと、楽器を演奏するときに必要なことは技術も大切ですが合奏に重要なのは耳のはずです。つまり他の人の音を聴くことで、それをしないと独りよがりのメロディが入り込むのでヘタすれば聴くに堪えないものになってしまいかねません。独奏しかしてこなかったぼっちちゃんは物語の最初ではそれに気が付いていないのか他人の音を聴くことをしていなかったようで、ボロクソに云われます(1話「転がるぼっち」)。

それが話数を重ねてゆくごとにぼっちちゃんが変化してて、たとえばその日はじめてあった廣井さんと金沢八景で演奏をする回(6話「八景」)があるのですがその廣井さんの演奏を「即興であっても迷いがない」と判断できるくらいに他人の音を聴けるようになっていて、音楽の物語としてとても秀逸で、唸らされています。最終話では事前に打ち合わせたわけではないにもかからわずぼっちちゃんの最大のピンチを他のメンバーがカバーするのをぼっちちゃんが気が付くくらいに、ぼっちちゃんは成長しています。そしてそのピンチをどうやって切り抜けたか、および、それまでの紆余曲折が物語の最大のキモだと思うので、詳細は是非本作をご覧いただきたいのですが。

もう幾ばくかのネタバレをお許しください。物語の最後の最後までぼっちちゃんの性格は基本的にそのままで、言葉による意思疎通つまり会話は不得意なまま、です。でも結果としては音楽で他人と意思疎通できるようになり、バンド仲間との結束も深まります。「ぼっちちゃんを救ったのは音楽だった」もしくは「ぼっちちゃんがぼっちじゃなくなったのは音楽のおかげだった」という結論で、「良い物語でした、めでたしめでたし」で終わらせてもいいのですが、そこで終わらせてしまうと、ぼっちちゃんおよび『ぼっち・ざ・ろっく!』はひとつの仮説を置いて行ったことになります。つまり「音楽によって救われるけど言葉によっては救われない(ことがある)」という仮説です。じゃあなんで言葉はそこにあるんだろう、とみてるこちらを揺らしにかかってます。文字そのまんまのRockです。

今秋眼科の手術があってしばらく本が読めない日が発生すると予想して録画していた作品のひとつだったのですが、飽きることなく最後まで視聴していました。月並みな言葉ですが、面白かったです。

さて、冒頭「陰キャ」という言葉をよくわかってないと書きました。物語の中では廣井さんという人物がそれを自称します。「はじめてなにかするってのは誰だって怖いよ」とぼっちちゃんに語りかけるシーンがあって(10話「アフターダーク」)、ああああああよくわかる、と廣井さんより年上ですが、首がもげるほどに頷いています。もしそこらへんが「陰キャ」に関連するなら私も「陰キャ」です。感想を書いてるつもりが「陰キャ」アピールになってしまったのでここらへんで。

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』4話5話を視聴して(もしくは喜劇に見える悲劇について)

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』4話5話を視聴しました。はてなにはアニメに詳しい人が沢山いて、それほど詳しくないのがいちいちここで書くことにどれだけの意味があるのかわかりませんが、やはり書かず放置するのがなんだかもったいない気がするので書きます。

幾ばくかのネタバレをお許しください。水泳部の先輩の桜井先輩とつきまとう後輩である宇崎ちゃんの仲がちっとも先に進まない状況に業を煮やした周囲が、条件付きイケメンである桜井先輩を狙う異性が居ることを宇崎ちゃんに告げ宇崎ちゃんを焚きつけるのが4話で(その結果どうなったかは是非原作等をお読みいただいたいのですが)、(なぜそうなったかは是非原作等をお読みいただいたいのですが)宇崎ちゃんのお父さんである藤生さんに宇崎ちゃんが異性の先輩(=桜井先輩)と仲が良いことがバレてしまうのが5話です。

5話では結果的に宇崎家で家族会議が開かれることになります。藤生さんに訊かれた宇崎ちゃんは、桜井先輩がどんな性格でなぜ桜井先輩につきまとってるかや、夜なかなか寝かせないほどに(ゲームをして)遊んでることや料理が苦手な桜井先輩の部屋でメシを作ったりしてることを含めてすべてを白状します。しかし付き合ってるという意識が宇崎ちゃんも桜井先輩にも無いのでどこまでも清いお付き合いで、そのためか「なにをやってるのだ」という反応です。藤生さんに至っては当初は査問調であったものの最後には「娘に手を出さないなんて」と嘆きだします。傍観者であるこちらはそれらは喜劇そのものなのですが、でも宇崎ちゃんからすれば桜井先輩のためにやってきたことが否定されてるわけですから喜劇ではなく悲劇です。人付き合いに正解なんてひとつもないはずなのに「こうあるべきである」という明示のない正解っぽい共通認識が置かれそれに反するものが否定されてる状況で、フィクションにのせてありますがその至極当たり前に取れがちな空気が「ちょっと怖いな」と思っちまいました。

でもって誰一人味方が居なかった家族会議を打ち切ったあとの宇崎ちゃんが怒ってる描写なのが、つまり周囲に安易に妥協せずにいる描写なのがせめてもの救いで個人的には良かったです。『宇崎ちゃんは遊びたい』は宇崎ちゃんに付きまとわれる桜井先輩の受難の話だとずっと思っていたのですが、家族より重いものが出来たという宇崎ちゃんの変化の物語にもなったわけで。

さて、4話では桜井先輩と宇崎ちゃんの共通の先輩である亜細さんが異性である桜井先輩を性的な目で眺めていたことがいくらかコミカルに触れられています。コミカルではあるものの、女性が男性を性的な視線で眺めることは不思議ではなく、そのことに触れてる点でちょっと唸らされています。性的な目線って別に一方通行ではないわけで。

最後にほんとにくだらないことを。

宇崎ちゃんのお父さんの藤生さんは関西出身でなまりを隠しません。宇崎家では末っ子以外すべて標準語なのですが、お前たちには関西人のソウルが刻まれてるといって

関西電気保安協会

の文字を子供たちに音読させようとします。社会人になって最初に大阪に放り込まれたせいか私も素直に読めず、節をつけて読んでしまっています。普通に読めないことがなぜ関西人のソウルが刻まれてることに直結するのか理屈が不明ですが、説得力とは別のところで妙に腑に落ちてしまっています。そんなふうに物語を説得力とは別のところで腑に落ちる程度の読解力しかなく、たいした感想も書けそうにないので、このへんで。

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』3話を視聴して(自分にとって都合の良い情報を好み信じ込むようになる心理について)

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』3話を視聴しました。はてなにはアニメに詳しい人が沢山いて、それほど詳しくないのがいちいちここで書くことにどれだけの意味があるのかわかりませんが、書かず放置するのがなんだかもったいない気がするので書きます。

若干のネタバレをお許し願いたいのですが、3話では桜井先輩と宇崎ちゃんが学祭で占いの鑑定を受けることがメインです。その占いについては是非原作かアニメで詳細を確認していただきたいのですが、その占いの結果について知ってしまった桜井先輩は動揺を隠せず数日引き摺り、やがて克服します。一方宇崎ちゃんは「占いなんかは遊びみたいなものですから」といい、占いの結果を知っても表面上は平静を保つものの、宇崎ちゃんにとっては決して悪いものではなかったがゆえに好意的に解釈し、桜井先輩とは逆に数日後には(物語の中の言葉を引用すれば)「片寄った思考は片寄った情報を栄養にして、やがて暴走をはじめ」ます。どのように暴走したかや桜井先輩と宇崎ちゃんがどうなったかはやはり原作かアニメをご覧いただきたいのですが。

作中、自分にとって都合の良い情報を好み信じ込むようになる心理についても語られています。宇崎ちゃんはまさにそれです。心底「あはは」と笑えればよいのですが、今回の話は繰り返しますが占いに紐付けられています。フィクションにのせてあるとはいえ、占いについてそれが吉兆であれ凶兆であれそれをどこか信じてしまう人の背中をぐさりと刺しにいってるわけで、視聴している時点で度の高い焼酎を呑んだヒリヒリ感がありました。

以下どうでもよいこと、かつ、きわめて個人的な感想を。

領収書などを含め金額に関してカンマの桁区切りを打つ習慣は社会人になるまで知りませんでした。金銭を扱う方面に異動になったとき、チェックするとき視易いから絶対打てと口酸っぱく指導を受け、以降カンマの桁区切りをするようになっています。とはいうものの忘れそうになることがないわけではありません。そういうところについて、血液型占いでB型は雑というのを知って以来、なにぶんB型なので…って血液型のせいにしたくなることがないわけではありません。そういう自覚があるので、自分にとって都合の良い情報を好み信じ込むという点については宇崎ちゃんを腹から笑えるかといったらそれほどでもなく苦笑いしつつ、視聴しながら刺された感覚がありました。

いやアニメをそんなふうに見ないだろ?といわれるとキツいので、このへんで。

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』の第2話を視聴して(言葉は発話後受け取った側によって変化しちまう問題)

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』の第2話を視聴しました。それをいちいち報告する必要性があるのかといえば怪しいのですが、なにも書かないのももったいないので書きます。

幾ばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが、主人公である宇崎ちゃんと桜井先輩は元水泳部ガチ勢で、桜井先輩が泳ぎに行くと後輩である宇崎ちゃんもついてゆくような仲で、2話では2人のプールでの描写があります。桜井先輩はバイト先の先輩である亜細さんに女性の水着について誉めることを過去にアドバイスされていて、ふとそれを思い出して「今日の水着はかわいいな」と泳いだあとについでに口にします。桜井先輩は亜細さんに奨められたゆえの行動で、明らかについでであるものの、素の桜井先輩がほぼ云いそうにない言葉であるにもかかわらず宇崎ちゃんはその言葉を都合よく好意的に解釈し、別の褒められそうな水着を探そうとします。桜井先輩も悪くないし宇崎ちゃんも悪くないのです。発した言葉は発した側の意図と関係なく受け取る側の解釈によって別の意味がつけられ変化しちまうのを最初のほうで巧く浮かび上がらせていました。

さて、桜井先輩は以前、宇崎邸で宇崎ちゃん母に挨拶しつつ視線は宇崎ちゃん母のひざの上の猫にロックオンしつつ「触りたい」とつぶやいてしまいます。それを聞いた宇崎ちゃん母がどうしたかは1期をご覧いただくとして(9話「宇崎月はときめきたい」)、桜井先輩と面識のある宇崎ちゃん母が2話で出てきました。最近大学で桜井先輩との動画を撮られたことやそのときに桜井先輩がなかなか離してくれなかったことを言葉足らずながら宇崎ちゃんは告白し、宇崎ちゃん母は宇崎ちゃんの言葉が足らない部分を脳内で補完してしまい結果としてショックを受けます。繰り返しますが発した言葉は発した側の意図と関係なく受け取る側の解釈によって意味が変化することはありますし、また言葉として発されなかった部分を前後の文脈から脳内で補完してしまうことはそれほど変なことではありません。誰も悪くないのです。2話では脳内補完がからんでしまう言葉による意思の疎通の難しさも巧く浮かび上がらせていました。

なぜそうなったかは本作をご覧いただきたいのですが、宇崎邸には結果的に桜井先輩手製のうどんが大量に発生します。宇崎ちゃんは弟に「先輩が作ってくれた」と述べるのですが、宇崎ちゃん弟はそれを宇崎ちゃんと同じ女子大生の作ってくれたものと受け取り喜んで食します。ここでも宇崎ちゃんは間違ったことは言っていません。でもって、ここでも受け取った方は勝手に脳内で補完しちまい宇崎ちゃん弟は発話者の意図と異なる解釈をしちまいます。誰も悪くはありません。

言語による意思疎通の難しさというのが『宇崎ちゃんは遊びたい!』に伏流水のように流れててふとした拍子に顔を出すのですが、2話はそれが強かった気が。傍観者的にはコメディに見えますがおそらく宇崎家だけの問題かというとそうではなくて、キレイな日本語なんて幻想だと思うのですが我々は不完全な日本語を使ってるはずで、誰にでも起きうることのはずではないかな、と。

以下、くだらないことを。いや、くだらなくはないのですが。

2話では桜井先輩と宇崎ちゃんの年齢が逆だったら?という妄想を宇崎ちゃんがします。後輩をかまってあげる先輩であろうとするのですがこじれてしまい挙句の果てに逆上してヘッドロックかまします。後輩設定の桜井くんは胸があたるので本気で嫌がり宇崎先輩はサービスタイムだと叫ぶものの、逆上するとサービスタイムというものになる理屈が不明です。形式上はセクハラなんすけど、ああセクハラというのはたしかに理屈がないよな、というのを今更ながら改めて理解した気が。

私が書くと『宇崎ちゃんは遊びたい』は言葉の伝わらなさの問題になってくるのですが、なんだろ、そもそも原作者の意図を理解してるとは限らないのでイチマツ模様の不安があります。加えてアニメとかマンガの感想をどう書けばよいかわかってないのでこのへんで。

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』1話を視聴して

『宇崎ちゃんは遊びたい!ω』の第1話を視聴しました。ヒロインである宇崎ちゃんと高校時代同じ水泳部に居た桜井先輩を主軸としたコメディの2020年の1期に続く続編です。

もっともコメディといってもいくらか異質です。1話では桜井先輩は宇崎ちゃんに夜遅くまで眠らせてもらえなかったことを友人である榊くんにぼやくシーンがあります。なぜ眠らせて貰えなかったのかは是非原作か当該アニメをご覧いただきたくとして、夜遅くまで眠らせてもらえない肝心かなめの理由を桜井先輩は端折ります。日本語の文章を端折ると正確さを欠くと同時に同じ前提がない場合は誤解を生みやすくなるわけですが、その不正確さや誤解を『宇崎ちゃんは遊びたい!』は巧く利用してる部分があって、そこらへんも相変わらず健在です(アニメに詳しくないのでそれがちょっと斬新に思えるのですが)。

さて、1話では(宇崎ちゃんと桜井先輩をくっつけようと策を巡らす)榊くんに桜井先輩、宇崎ちゃんでボウリングへ行きます。いくばくかのネタバレをお許しいただきたいのですが、桜井先輩は全力で勝負しますし、宇崎ちゃんは煽りつつ全力で妨害します。桜井先輩は宇崎ちゃんにまったく遠慮をしませんし、宇崎ちゃんもまた形式的には先輩扱いするものの桜井先輩に遠慮がありません。一時的に宇崎ちゃんと桜井先輩の間には年齢差や性差や体格差の考慮といったものが存在しないきわめて対等な関係が成立しています(宇崎ちゃんの姑息な妨害に目をつぶれば)。固有の差の考慮というものが無い世界をフィクションに乗せて垣間見た気がしてならず、ちょっと唸らされています。と同時に、性差などの固有の差の考慮のない対等な世界は、やはりフィクションでしかできないのだろうか、コメディに近接してしまうのだろうか、などと思考が謎発展したのですが。

くだらないことをちょっとだけ。

宇崎ちゃんと桜井先輩のバイト先では2人の大学の先輩でもある亜細さんの手によって新しい制服の候補がこっそりと用意されていました。どんなものかは是非原作かアニメをご覧いただくとして、宇崎ちゃんも桜井先輩も拒絶するようなシロモノです。自らに害が及ばないと考えると傍観者的な人ほど人を人形扱いする人いるよな、などと眺めながら考えていたのですがその数秒後、それら制服候補はグッズとしてのフィギュアにありそうなものでもあることに気が付いています。つまりグッズを買ってしまうような観ているコアなファンをなにげに刺しにいってて、エピソードになんだか皮肉が利いてて唸らされています。

なお、相変わらず宇崎ちゃんの胸の描写が無駄にちょくちょく入ります。それ必要なのだろうか、と思っちまうところがあります。そんなふうにアニメに詳しくないので、加えてアニメの感想の作法も知らないので、的外れなことを書いてる気がするのでこのへんで。