『ぼっち・ざ・ろっく!』を視聴して(もしくはぼっちちゃんが置いていったもの)

世の中に「陰キャ」という言葉があります。残念ながらこの言葉の意味を他人に説明できるかというと私は怪しいです。これから書こうとしてる『ぼっち・ざ・ろっく』の主人公であるぼっちちゃんこと後藤ひとりは「陰キャ」ということになっていて、かつ、ぼっちちゃんを贔屓する他のバンド廣井さんも(「陰キャ同士は惹かれあう」というセリフがあったので)「陰キャ」ということになっています。なので「陰キャ」が判ってない私が書くのは妥当ではないかもしれないと思いつつ、もったいないので書きます。

いつものように幾ばくかのネタバレをお許しください。

『ぼっち・ざ・ろっく!』は1人でギターを弾き、かつ、ネットでは匿名で挙げた動画に多数の視聴者がいる女子高生である後藤ひとりことぼっちちゃんが、はじめてバンドを組む物語です。肝心かなめなことを書くとぼっちちゃんは(物語のはじめのほうでは完熟マンゴーの段ボールをかぶって演奏する程度に)対人恐怖とまではいかないまでも、人と会話するのが・人と言葉による意思相通するのが得意なほうではありません。そこらへんが面白おかしく描かれてはいるものの、おそらく物語の本質はそこではないはずです。

管楽器しかやったことないので大口叩けませんがあえて叩くと、楽器を演奏するときに必要なことは技術も大切ですが合奏に重要なのは耳のはずです。つまり他の人の音を聴くことで、それをしないと独りよがりのメロディが入り込むのでヘタすれば聴くに堪えないものになってしまいかねません。独奏しかしてこなかったぼっちちゃんは物語の最初ではそれに気が付いていないのか他人の音を聴くことをしていなかったようで、ボロクソに云われます(1話「転がるぼっち」)。

それが話数を重ねてゆくごとにぼっちちゃんが変化してて、たとえばその日はじめてあった廣井さんと金沢八景で演奏をする回(6話「八景」)があるのですがその廣井さんの演奏を「即興であっても迷いがない」と判断できるくらいに他人の音を聴けるようになっていて、音楽の物語としてとても秀逸で、唸らされています。最終話では事前に打ち合わせたわけではないにもかからわずぼっちちゃんの最大のピンチを他のメンバーがカバーするのをぼっちちゃんが気が付くくらいに、ぼっちちゃんは成長しています。そしてそのピンチをどうやって切り抜けたか、および、それまでの紆余曲折が物語の最大のキモだと思うので、詳細は是非本作をご覧いただきたいのですが。

もう幾ばくかのネタバレをお許しください。物語の最後の最後までぼっちちゃんの性格は基本的にそのままで、言葉による意思疎通つまり会話は不得意なまま、です。でも結果としては音楽で他人と意思疎通できるようになり、バンド仲間との結束も深まります。「ぼっちちゃんを救ったのは音楽だった」もしくは「ぼっちちゃんがぼっちじゃなくなったのは音楽のおかげだった」という結論で、「良い物語でした、めでたしめでたし」で終わらせてもいいのですが、そこで終わらせてしまうと、ぼっちちゃんおよび『ぼっち・ざ・ろっく!』はひとつの仮説を置いて行ったことになります。つまり「音楽によって救われるけど言葉によっては救われない(ことがある)」という仮説です。じゃあなんで言葉はそこにあるんだろう、とみてるこちらを揺らしにかかってます。文字そのまんまのRockです。

今秋眼科の手術があってしばらく本が読めない日が発生すると予想して録画していた作品のひとつだったのですが、飽きることなく最後まで視聴していました。月並みな言葉ですが、面白かったです。

さて、冒頭「陰キャ」という言葉をよくわかってないと書きました。物語の中では廣井さんという人物がそれを自称します。「はじめてなにかするってのは誰だって怖いよ」とぼっちちゃんに語りかけるシーンがあって(10話「アフターダーク」)、ああああああよくわかる、と廣井さんより年上ですが、首がもげるほどに頷いています。もしそこらへんが「陰キャ」に関連するなら私も「陰キャ」です。感想を書いてるつもりが「陰キャ」アピールになってしまったのでここらへんで。