ぼっち考もしくは一人でいることの怖さ(「宇崎ちゃんは遊びたい」を視聴して)

「宇崎ちゃんは遊びたい」の最新回「桜井も遊びたい?」を録画したものを視聴しました。別にいちいちここで報告するほどではない気がするものの、なにも書かずに消去するのはなんだかもったいないので書きます。

前にも書いたかもしれませんが「宇崎ちゃんは遊びたい」は言い換えると桜井先輩の受難です。宇崎ちゃんになつかれた桜井先輩の下宿は宇崎ちゃんが持ってきた私物が転がるようになりますが、桜井先輩は雷を落として宇崎ちゃんを甘やかしません。逆に宇崎ちゃんも行動はウザいですが常に桜井先輩の前では敬語を崩さず後輩としてふるまいます。ただ敬語は崩さず、とは書いたものの、ことあるごとに友達が少ないことを揶揄して「ぼっち」と平気で煽ります。桜井先輩は「一言多いんだよ」とはいいますが、やはり突き放したりはしないです。桜井先輩すごいっす…って宇崎ちゃん口調で桜井先輩のよいところを書きたいわけではなくて。

詳細は原作かなんらかの方法でアニメをご覧いただきたいのですが、最新回では桜井先輩は1人カラオケをしてるところを宇崎ちゃんとバイト先の先輩に目撃されて乱入され、宇崎ちゃんにマラカスを持って笑われ、さすがに桜井先輩は借りてきた猫のように消沈します。また宇崎ちゃんは建前では「ぼっち」な桜井先輩と遊んであげてるスタンスで、裏返すと「ぼっち」は良いことではない、という考え方です。どってことないことかもしれませんが宇崎ちゃんの笑う姿を眺めながら、1人は恥ずかしいことでそれは笑われるし良いことではない、という、いまの世の中では当たり前のことかもしれないことをフィクションに載せた状態で見せられて、改めて知って、ちょっと怖いなと思った次第です。私は(歌舞伎座の幕見席は1人でよく行っていたものの)1人カラオケもしませんし1人ではありませんが、もしかしたらなんらかのきっかけで「ぼっち」になり得たかもしれないわけで。

話はいつものように横に素っ飛びます。去年読んでいた青ブタでは古賀朋絵という登場人物が出てきます。「孤独が嫌なのではなく、みんなの輪から外れてる自分を、みんなに見られるのが嫌」「どこかバカにされたように笑われることが、なによりも嫌」(「青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない」P110・鴨志田一電撃文庫2014)と古賀さんは考えるのですが、1人カラオケを笑う宇崎ちゃんを眺めながら違う物語である古賀さんの恐怖がすごくリアルに蘇ってきました。

話をもとに戻すと桜井先輩と宇崎ちゃんは上で述べたように先輩後輩ですから桜井先輩も正確には「ぼっち」ではありません。宇崎ちゃんにバカにされたように笑われてダメージはあってもリカバリ可能で、実際笑ったことに関してあとで宇崎ちゃんはさすがに(相応の)誠意をみせています。

桜井先輩の一人カラオケのエピソードを眺めていて、1人でいることの怖さは1人でいることの寂しさではなくて1人の状態を笑われることなのだな、と別の意味をそこから読み取ってしまっています。コメディなのでほんとは笑うところなのかもしれないのですが、なんだろ、喜劇と悲劇は紙一重かもしれなくて裏にある悲劇をちらっと見ちまった気がします。こういう感想を持ったのは少数派だと思いますが。

さて「宇崎ちゃんは遊びたい」は明日が最終回です。物語を通して浮き上がってくる小さな問題がちょっと興味深いせいもあって惰性で追っていましたが、胸にまつわる描写や演出がなんとなく苦手で正直、ここまで見続けるとは思ってませんでした。先週放送分はちょっと意味ありげな深刻な終わり方をしていて、どういう処理の仕方をするのかちょっと気になっています。できれば明るく喜劇で終わって欲しいところなんすけど。