金目鯛のだしその後

Curiosity killed the catっていう英語のことわざがあって、直訳すれば「好奇心は猫を殺す」です。ほんとに猫が好奇心で動くのか、その結果死ぬのか、猫を飼ったことが無いのでわかりません。が、感覚的にわからないでもないです。

社会人になって仕事で博多へ行き、そこでガツンと旨味のようなものがダイレクトに舌にくる関東ではまず出会わない見知らぬ味噌汁を知りました。最初はなんだかわからず、本来の仕事がひと段落したときに現地の人に尋ねてそれがあご(トビウオ)出汁の味噌汁と知ります。あごだし、出汁茶漬けに合いそうだなよなあ…と勝手に考え、好奇心に負け、竹下の駅前のスーパーでだしパックを買ってカバンの中に入れて帰京しています。実際、出汁茶漬けには確かに合って、しかしそれと味噌汁しか使い道を知らないので(肉じゃがとか豚汁はあわないのではないか感が強かったので)持て余し、そのうち賞味期限が来て結果としてすべてを使い切らずに捨てています。つまり好奇心で行動して死にはしなかったけど失敗してます。

四捨五入すれば50なんすけど好奇心で行動することをしなくなったか、といったらそんなことはありません。

先日、伊東へ行ったときに金目鯛の出汁の茶漬けというのを見かけ、金目鯛は知っていても正直出汁にするとどんな味かが想像がつかず、好奇心に負けて買っています。週末に封を開けて実食していて、茶漬けと云ってもお茶をかけずにお湯をかけ、あごと違いパンチはなく最初は「金目どこよ?」なのだけど、ムリには主張しない控えめなしかし印象だけはしっかり残すというか、後味がしっかり「ああたしかに金目だわ」でした。まだあるのでお茶漬けにせず焼いた餅と里芋を入れてみようかとか想像は広がっていて、まだ残はあるものの今回は持て余すことなく失敗にならずに済みそうです。

失敗はしないほうが良いのですが、え?なにこれ?ってなものに遭遇すると、そちらへ行きたくなることありませんかね、ないかもですが。

人間の記憶は不確かである2024

博多華丸大吉師匠の漫才に人間の記憶は不確かである、という説を唱える中洲産業大卒のお父さんが出てきます。「昨日の夜はちゃんぽんやったけど昼はなんやったかな…」と続くのですが、私も7日前くらいの夕飯になると怪しいです。くわえてあまり人の顔を覚えるのが得意ではありません。たとえば1年前にあった人をきちんと覚えてるかというと怪しいです。

話はいつものように横に素っ飛びます。

隣県に所在するある小さな会社の株を持っています。賃借対照表に一年以内に支払う項目として未払金というのがあるのですが去年まで数年ほど未払金の額がずっと同額で、去年の総会で「これは内容はどんなものですか」と尋ねると取締役も監査役も誰も答えずというか答えられず、3年前の帳簿を調べて貰ったら設備工事をある役員が立替払いをしその役員に対しての未払金ということが判明したものの、ところが名指しされた役員が「おれそんなの知らねえ」と云いだし、そこから緊張した空気が漂いはじめ、引き金を引いたのは私で、猛烈に気不味くなってしまったことが去年ありました。

この週末その会社の総会があって隣県まで出かけてます。赤字額のほかに未払金の額が増えているのは横に置いておくとして(ほんとは横に置いてはいけないのですが)、一般管理費等の科目に去年有ったものが今年はなぜか消えていて、やはり和気藹々とはなっていません。総会が終わり、近くにいた株主の人が肩を叩きながら「あんたなかなかやるねえどんどんやりたまえ。○○(死んだ父の名前)さんは知ってるよ、血は争えないねえ」といったあと「気が付いた?去年居た監査役、今日は1人も来てねえべ」。

人の顔を覚えるのが得意ではないので監査役の欠席を云われるまで気が付かず、博多のお父さんの説を傍証してしまったみたいでなんだか悔しくなったあと、次いで監査役の欠席を知るとこの株主総会は有効に成立したといえるのだろうか?という不安が出てきました。しかし悲しいかな、以前確認したことがあるはずなのに総会の成立要件が会社法の何条だったか?監査役に出席義務があったかどうかあるとしたらそれは会社法どの条文か?というのも咄嗟にでてきません。スマホで検索すると314条に総会で監査役は質問に答える義務はあるものの、総会の成立要件に監査役は関係ないことを確認して、不安を消しています。

不安は消したものの記憶が不確かであることをダブルパンチで実感してなんとなく打ちひしがれたまま駅に向かい、改札を通って高尾行き上りに乗ってから駅前の店で信玄餅を買いそこねたことに気が付きました。東京でも八王子駅で買えるので問題ないといえば問題ないものの、博多のお父さんの昨日の昼めしどころか未来の今日の夕食後のデザートすら忘れてしまってるわけで。人間の記憶は不確かであるといわれるとほんとぐうの音もでなくなっていますあははのは…ってほんとは笑いごとじゃないかもしれませんが。

耐えられないことの回避

品のないことを書くと経験がそれほどない頃に、経験豊富な人から陰毛を剃ることをすすめられました。痒みを引き起こすケジラミは毛の接触でうつるので毛を剃ればよい、という理由です。痒いのは耐えられそうにないけど剃ることにもっと耐えられそうになかったのでその人と会ったのはそれだけで二本挿しとか未経験で…ってそんなことはどうでもよくて。そのケジラミによる痒みを経験したことが無いのでヘタなことは云えぬものの(よいこのみんなはわからなくていい)けしからん映像を眺めたときに毛が無い例があるのを確認してからは「人は耐えられそうにないことを回避するのではないか?」という仮説を持っています。

何度か書いていることですが、冬になると東京は北西の冷たい風が吹き、早朝は手袋なしでは耐えられないとまではいななくてもちょっとキツいです。片手だけ無くしたこともなんどかあり、しかしそれが続くと同じことを繰り返すおのれに耐えられなくなりその回避行動をとるようになりました。具体的書けば定物定位置、決まったものを決まった場所に置くというのを習慣づけています。子規に

「手袋の左許になりにける」

という嘆きの句があるのですが、いまのところ左ばかりになる状況はここ数年回避できています。上記の子規の句、単純に読めば手袋の片方だけが増えてしまう、という嘆きなのですが、個人的には同じことを繰り返すおのれが耐えられない嘆きの句なのではあるまいか?と想像しています。子規が手袋を無くさぬようになったのかどうかは不勉強で知らないのですが、なんらかの工夫をしたのでは?と思いたいところ。

この定物定位置は手袋に限らず調理道具や文房具などにも適用しています。「探す時間がもったいない」というのがデカいのですが、整理整頓できないおのれに耐えられないってのもデカいです。

はてな今週のお題「習慣にしたいこと・していること」に関連して「習慣にするのってむずかしい!」という文章がダイアリの編集画面に出てくるのですが、つらつら述べてきたように私は耐え性がないだけなのでそこらへんがいまいち理解できていません。志の低さの自白になりますがほんと耐えられるか否かで、手袋等のように耐えられないと考えたらカイゼン策を考えて習慣化します。もちろん「月に○冊本を読む習慣」なんてのもなく、しかし本を読まない生活に耐えきれそうにないので本は読み、常に一冊はカバンの中に放り込んであります。もしかしたらそれを活字中毒というのかもしれません。

不思議なもので自分が習慣化したものを他人が習慣化していないと、稀にですが腹が立つことがあります。私は本を読んでメモを取る習慣はあっても読んでる本に線を引く習慣はありませんでした。最近手に入れた中古の本のあちこちに前所有者が引いたとおぼしき線が引いてあるのですが、これが耐えられないわけでは無いけど微妙に腹立たしいのです。些細なこととはいえ、その些細なことが気になるというか。書いてて気が付いたのですが習慣に書いてるつもりが「耐えられそうに無いことの回避」とか「些細なことが気になる」とかおのれのおのれの器の狭さについて自白になってしまってる気がするのでこのへんで。

ステーキソースの記憶

東京ローカルな話をします。

駿河台から中央線の線路沿いに坂を下ると須田町で、神田川を挟んで須田町の対岸が外神田で、須田町と外神田を結ぶ神田川にかかる橋を万世橋といい、その万世橋の南詰にあるのが肉の万世という肉を得意とする洋食屋です。須田町に以前は交通博物館があって小学生の頃に駿河台の病院のあとになんどか連れて行って貰ったことがあるのですがだいたいなにかを食べるのは蕎麦屋万惣という果物店で、なので万世は長いこと名前だけを知る店でした。

話はいつものように横に素っ飛びます。

同性二人で入れるラブホテルというのは東京ではそれほど多くはなくしかし湯島にはあって、その目的で湯島へ行ったことが無いわけではありません。運動をいたしたあとに腹が減りつまりお腹が鳴りふふふと笑われたあとに「なにか食おう」ということになり給料日のあとだったのか「今日は俺が出すからついてきて」といわれ、地下鉄で一駅以上ある須田町のあたりまで歩き、そこで万世に入ってメニューの値段を見ていくらかびびったもののハンバーグを食べました。万世童貞卒業(…万世童貞?)はハンバーグで、確かステーキソースがかかってた記憶があります。

私は微分積分代数幾何他数学系はすべてやったけど技術家庭の無い学校を出ていて、料理は詳しくありません。ハンバーグというのは無数のレシピがあると思うのですがその頃はトマト系でタネを煮込むものしか作り方を知らず「同じものを作れって云われるのかなあ…プロと同じはできないよなあ…」と身構えたものの、さすがにそれは云われていません。でも煮込まない焼くハンバーグにステーキソースはありなのかと悟り、ステーキソースは市販のものもありましたから真似ています。

話を元に戻します。

先日万世橋南詰の肉の万世が営業終了する旨の報道が出ていました。新お茶の水駅などにも店があってそこでは営業は続ける模様で、学習はしたもののそのあと片手で数える程度しか万世にはお世話になっていませんからそれらについてなにかをいう資格はありません。ただ、それほどお金のない世代が背伸びしてなんとかなる程度の値段で美味しい料理を出した店が立ち行かなくなる、というのは、可処分所得が相当減少傾向にあるのではないか?とかいくつか推測はつくものの、理屈とは関係ないところで「この社会、なにか間違ってるんじゃないの?」感がないわけではなかったり。

社会人になってそれほど経たない頃、自分より年次がすこし上の人がふとした拍子に「あそこには××があって」といまはもうない建物や目印や店のことをいうことがあり、それを聞いて「実際にそこにないものをどうしてこの人は教えようとするのだろう」と不思議に思ってた時期がありました。おそらくそれはその場所にリンクした記憶がその人の脳内で溢れだしているのではないか、といまとなっては想像します。万世の報道を聞いただけでおよそ30年前弱の記憶が溢れだしたのですけど、もし須田町や外神田へ行く機会があったら、もっと記憶が溢れだしそうな気が。

知らない街を歩いた感想

熱海にブルーノ・タウトが関係した日向別邸という別荘建築があり、松の内にその見学ツアーに参加しています。現地集合時間が14時半で、熱海駅に着いたのが13時をいくらか過ぎたあたり。余裕を持たせたのは遅延を意識してのことですが、幸いなことにその日は定刻でした。さて1時間以上あるのでどうするか?ということになり、いちばん無難なのは近くでコーヒーとかで、しかし考えることはみな同じで混雑していて、次善の策として集合場所とは方向的には正反対になるものの有名な貫一お宮の松というのを見に行こうということになりました。ぐーぐる先生にお伺いを立てると駅から平坦な道800メートル徒歩片道11分で電車内で鯵の押し寿司を食べたばかりだったので「適度な腹ごなしにはなるかな」などとそのときは考えていました。なお彼氏も私も熱海で降りたのははじめてです。

でもなんですが。

ぐーぐる先生は平坦な道って云ってたのですが途中で駅から貫一お宮の松のある海岸へ向かってるうちにその道の勾配がそこそこキついことに気が付きました。ついでに書いておくと近道ルートは階段で、そこもあんがい勾配がキつい。行きはよいよい帰りはなんとやらでちょっとだけ怖気づき「どうするよ?」「帰り道はタクシーにすればいいんじゃね」という協議のあと

そのまま初志貫徹しています。

近くを散策し、いくらか時間をつぶして熱海駅へ戻ろうと海岸沿いの道路でタクシーを拾おうとしたもののぜんぜんダメ。坂の下にあるホテルと坂の上の駅の間を荷物を持って坂を歩く人なんていないでしょうからみんなタクシーを使うはずで松の内故にフル稼働のはずで無理もなく、やむを得ず駅まで坂を歩いて登っています。ついでに書いておくと日向別邸は駅よりさらに高い丘陵の上にあって、集合時間には間に合ったもののさすがにいくらかくたびれていました。

なお見学した日向別邸は坂を登ったことを後悔させないとても時間泥棒な建物です。

あとで知ったことですが駅と海岸の高低差が60メートルくらい。江ノ島江島神社辺津宮の参道の鳥居から江ノ島の頂上と同じ程度で「ああなんだその程度だったのか」なのですが、ここではてな今週のお題「大移動」を引っ張ると、知らない街で高低差のあるところに出くわしたせいかたいした距離でもなくても「大移動」感が強かったです。

最後にくだらないことを書きます。

知らない街を歩いてみたい

「遠くへ行きたい」(作曲中村八大・作詞永六輔

という歌詞の曲がありますが、知らない街を歩いた実感としては歩くなら高低差の少ないほうが良いかなあ、と(異論は認める)。

( >д<)、;'.・ ィクシ

花粉は大量飛散する年とそれほどでもない年が交互にやってくる、という仮説を同僚から聞いたことがあって、去年は大量飛散の年でした。それが証拠に晩春になると鼻炎薬がドラッグストアの棚から消えていて動揺した記憶があります。仮説が正しいとするならば今年はそれほどでもないのでは?と淡い期待を抱いているものの、しかしながら飛ぶものはすでに飛んでいて、花粉症薬の残数があやしくなってきたのとドラッグストアの割引券の期限が今日までだったので、買い足しに出ています。

行き掛けの駄賃として遠回りになるのを承知で近くの公園を横断すると

梅がほぼ満開。なんかこう、お酒を呑みたくなってきたのですが花粉症薬を服用していたので堪えて(…堪えて?)います。

お酒がオッケイの花粉症薬が出たらなあ…などと考えはじめ、どこか思考が狂ってるのに気がついたのですが、満開の花って眺めてると思考を狂わせることありませんかね。ないかもですが。

金目鯛のだし

ローカルな話をして恐縮なのですが諏訪にツルヤというスーパーがあってそこで「子持ちキクラゲのおにぎり」というのを売っていました。キクラゲはキノコのはずでキノコが子を産むというのは考えにくく、なのでフリーズし、フリーズしたこちらを不審に思った彼氏もそれは初見で、とりあえず一つ買っています。あとで分解したところ、子持ちキクラゲの正体は細切りにしたキクラゲにシシャモの卵をあわせて炊いた佃煮でした。だからなんだといわれるときついのですが、知らぬものを目にすると要らぬ冒険心が疼くことがあります。

要らぬと書いたのはいわゆるおとなのおもちゃのスイッチにMAXがあってそれを押すとどうなるのか試してみたくなりその結果悶絶して止めてもらったことがあるからで、おそらく冒険心は無い方が平和だと思うのですが…って話がズレた。

先日伊豆の伊東というところへ行った際に以前買った同じ伊豆のカメヤという会社のわさび茶漬けを探していて、しかし見つけることが出来ず、かといってどこにでも売ってるようなお茶漬けを買うのは能がないと考え、製造元が小田原なので伊東土産とはいいにくいもののそばにあったキンメ(金目鯛)の茶漬けというのを要らぬ冒険心が疼いて買っています。

さてそのお茶漬け、金目鯛のだしと書いてあるのに気が付きました。キンメの煮つけは食べたことがあってもだしとなると正直どんなものかうっすらとしか想像がつきません。東京は今週は暖かかったのでお茶漬けの機運ではなかったものの来週はいくらか冷え込みそうでそのときに試してみるつもりです。未知の味覚を楽しみにしているのに気が付いて、思ったより食い意地が張ってるおのれを自覚しました。

もっとも名物に旨い物なしなんて言葉もあるくらいなので大ハズレもありえるのですが。