正解がひとつあります、でもそれがどこかがわかりません、さてどれでしょう、ってのが学生時代から苦手で、社会人になってもテストでなくてもそういう場面に遭遇すると、正解探しから逃れることができないのか、なんて考えちまうことがあるんすが、いちばんしんどいのは、テストであれば赤点を喰らえばいいのですが、テストでない時は誰かが持ってる正解に合致してない時に、批判されるときかもしれないです。まともにとりあおうとすると、つねに誰かの正しい解を意識してその人の顔色をうかがうようにしなきゃなんないのがしんどい。
だからか、正しそうなことをいう人、ってのがなんとなく苦手なんすけど、そういうひとばかりではないので、やはり世の中ほどほどで成り立ってるのかもしれません。