不信というかおぼろげながらなんとなくあれ?といったことがあると、それがむくむくと育ちはじめ、ほっておくと一面に広がり先行き不透明というか不安になったりします。形式的にはつじつまが合うけど、でもひとつひとつを細かく掘り出すと結果として全然つじつまが合わないんじゃないの?的なことがあって、疑り出すと実はきりがなくて、せんだって時間を貰って前の資料を出してもらってチェックしてたときがマックスだったんすけど、疑うなんてことをやってると、どんどん書かれてる数字や文章が信用ならなくなってきて、どこに間違いがあるか・正解があるかわかんない状態で、疲弊するし人間不信になってきたりもする。とくになんでそんな細かなところに目が行くの?ってなことを言われやすい場合にはああ俺のやってることは間違ってるんだろうか、なんてことを考えちまうのですが。でも形式的になんとなくつじつまが合ってても、おかしいところを放置すると、全体の信用がなくなってくるんすが。
でもって、そんなさなかに全然関係ないことで親しい間の同性からもらった近況を知らせる短いメールの中に偶然、たぶん世の中ほどほどのところで成り立ってるんじゃね?なんてのがあったりすると、風呂の中で「ほどほどのところでいいのかな」って思ったりもするのですが、朝になると「でもなあ」と元に戻ってたりもします。そんなふうに、なにかをきっかけにどんどん信用できなくなるっていう下り坂と、それじゃつかれるよっていうのの間であっちへいったりこっちへいったりで、余計に時間を無駄遣いしてるところがあったりします。


淡々ととか粛々と、ってのは、いうのは簡単なんすけど、けっこう難しいよなあ、なんて最近考えてるんすが。