さっさと

個人的な感想なんすけど、めんどくささの本質は「さっさとなんとかしたいな」なんて思うのだけど現実には「さっさといくわけない」からで、想像どうりではないからイライラする、と思ってます。
問題があるときに、「問題の所在」などと論文に書かれてるように問題提起がされてればいいのですがあまりそんなことはないし、起きてる事実には見えない解法のヒントがまずあるのだけど、灰色の脳細胞を持っててもポアロ並でない私はじーっとみてても現実的には簡単には見抜けないこともあるわけっす。見えてるウォーリーを探せ、ならいいのですが、夏の夜の暗い寝室の蚊のような小さい・見えないウォーリーを探せ、ってのは「なんとかしたい」のはやまやまなんすけど、なかなか処理できません。ウォーリーをみつけて問題の所在がわかっても絡んだ紐をほどくのに手間がかかることもあるわけで。
くそう、なんで処理できねーの?とか余計いらいらしちまうこともあるわけっす。


状況を判ってる人はあまりそんなことをいわないのですが、たまに「なんとかすべき状況をはじめて知る人」がいて、当然の帰結として「なんとかすべき」っていうのですが、(夏の夜の蚊を捕まえるとか)その「なんとかすべき内容」が難しいのにいわれるとイライラがさらに高じてきます。八つ当たりっぽいこともでてきちまうわけで「なんとかしてようとしてるじゃん、でもさっさとは終わらないの!」っていうのを(いったってなんの解決にもならないから)ぐっとこらえる事態になります。
こういうときのモチベーションの維持方法って、さっさと相槌をうっておいてあとでコーヒーを飲む・帰宅してビール呑むくらいしかないんすけども。