学生時代にカセットテープに朗読して録音し、それを覚えるって作業を一回だけしました。一回だけなのは、自分の声が苦手だからです。そのとき愕然としたのは、いつも耳に入ってる自分の声と録音されたテープの声がまったく違うこと、そして英語でしゃべるときはなぜか不思議と声が高く、なおかつ早口でうわずったり発音があまりよくないってことでした。自分の声の欠点がかなりはっきりわかったわけっすけど、欠点を直視するのって、ちょっと苦痛です。以降、覚えるときにはその単語や条文を口には出しても積極的に自分の声で録音しようとはしてません。
顔を誰かと交換したいと思ったことはないですが、声変わり以降の自分の声をできれば交換したい、とは思いました。でもそんなことできませんから、せめて発音だけはきちんとしようと意識して、余裕のあるときはなるべく丁寧にクリアに発音するように心がけてるうちに、ましになったというか、よそゆきのしゃべりかたってのを会得しました。でも気が緩むと発音の悪さって出てきます。たとえば「し」と「ひ」は訊きかえされることがあります。
で、社会人になってから狙いどうり「アナウンサのような」なんてこともいわれたのでいまのところ巧くいってます。ただしそういうしゃべり方は諸刃の剣でよそよそしい印象を与えちまうみたいですが。


発音はなんとかしたものの、声そのものはいまだ苦手です。好きになれません。
かといって仮に声を誰かと交換できるとして、鏡に映る自分の顔に似合う声ってどんなんだろ、というのをさっき30秒ほど真剣に考えたものの、思いつかず。苦手苦手といいながら、いつのまにか愛着がでてるのかもしれません。