例えば何かが有ってトラブルに巻き込まれたとき、事情を聴くこととかがあったりします。また逆に仕事先で自分がトラブルを引き起こしたときに謝罪や自分の事情をとりあえず話すことがあります。普通、それで終わりにはしないことが多いはずです。謝罪で済まない場合は何らかの着地点を探します。もしくはペナルティを受忍する。
で、実はそういうのはその人や組織の誠実さに関係してきます。誠実でなければ別に相手との着地点なんか探らなくって良いのです。下手したら頭下げておけばオッケイ、なんてこともありますから、誠実でない人は形式的に頭を下げます。謝罪会見とかを見ていて面白いなーと思ったのは、格安のホテルチェーンの社長が建築関係の法規を無視して営業してたことがばれたときにひたすら頭を下げているばかりで、どうしてこういうことをしたのかとかの事情説明や、これからどうするのかとかをほとんど語らずにいてってのがありました。たぶん、その社長の頭の中には頭を下げておけば誰だって判ってくれるだろう、っていう読みがあったはず。相手に対して斟酌を勝手に期待してるのです。頭を下げて察知して手加減してねってやつです。
この、勝手に相手に斟酌を期待してってのは、ひたすら独りよがりで何の改善もうみません。そもそも、トラブルってのは相手に頭を下げればすむ問題じゃないのです。どこかに着地点をさがさないと、納得をひき出すことをしなければ、全然進歩しないし責任を取ったことにはならないわけです。例えが良いかどうかは判りませんがデートの約束の時間に遅れたからといってひたすら謝るばかりではイライラが募るのと同じです。謝ったほうの背景なんてほんとは関係ないし頭下げられても、納得が得られなければ謝られたほうは「そんなの関係ねぇ」なのです。
落とし前をつけるとか仁義ってのは、実は簡単なようで案外難しいけど、やはり大事にしないといけないのかな、とも思えます。