芋粥

少数派としての原点みたいなものが、私は高校時代にありました。



芥川龍之介という人の「芋粥」という作品があります。

羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)

羅生門・鼻・芋粥・偸盗 (岩波文庫)

芋粥が食べたくて食べたくてしかたがない下級官吏の話で、うだつがあがらないので芋粥が食べれない。ところが、それを知った人物が現れて「よし、どうにかしてやろう」と、京都から越前敦賀まで主人公を連れて行くのです。主人公は飽きるほど芋粥が食べられる境遇になるのですが、その時になるともう食べたくなくなってしまう。もう結構、とまでいう。
これ、どうも「望みは叶えられぬうちが花なんじゃないか」という主題らしいのです。今昔物語の話を借りて構成してるということは聞いていたのですが、私はそうはとらなかったのです。以下、五位→主人公、利仁→敦賀へつれてく人。

唯、その中に、例の芋粥があつた。五位は毎年、この芋粥を楽しみにしてゐる。が、何時も人数が多いので、自分が飲めるのは、いくらもない。それが今年は、特に、少かつた。さうして気のせゐか、何時もより、余程味が好い。そこで、彼は飲んでしまつた後の椀をしげしげと眺めながら、うすい口髭についてゐる滴を、掌で拭いて誰に云ふともなく、「何時になつたら、これに飽ける事かのう」と、かう云つた。
「大夫殿は、芋粥に飽かれた事がないさうな。」
五位の語が完らない中に、誰かが、嘲笑つた。錆のある、鷹揚な、武人らしい声である。五位は、猫背の首を挙げて、臆病らしく、その人の方を見た。声の主は、その頃同じ基経の恪勤になつてゐた、民部卿時長の子藤原利仁(としひと)である。肩幅の広い、身長の群を抜いた逞しい大男で、これは、栗を噛みながら、黒酒の杯を重ねてゐた。もう大分酔がまはつてゐるらしい。
「お気の毒な事ぢやの。」利仁は、五位が顔を挙げたのを見ると、軽蔑と憐憫とを一つにしたやうな声で、語を継いだ。「お望みなら、利仁がお飽かせ申さう。」
始終、いぢめられてゐる犬は、たまに肉を貰つても容易によりつかない。五位は、例の笑ふのか、泣くのか、わからないやうな笑顔をして、利仁の顔と、空の椀とを等分に見比べてゐた。
「おいやかな。」
「……」
「どうぢや。」
「……」
五位は、その中に、衆人の視線が、自分の上に、集まつてゐるのを感じ出した。答へ方一つで、又、一同の嘲弄を、受けなければならない。或は、どう答へても、結局、莫迦にされさうな気さへする。彼は躊躇した。もし、その時に、相手が、少し面倒臭そうな声で、「おいやなら、たつてとは申すまい」と云はなかつたなら、五位は、何時までも、椀と利仁とを、見比べてゐた事であらう。
彼は、それを聞くと、慌しく答へた。
「いや……忝うござる。」
この問答を聞いてゐた者は、皆、一時に、失笑した。
「いや……忝うござる。」――かう云つて、五位の答を、真似る者さへある。所謂、橙黄橘紅を盛つた窪坏や高坏の上に多くの揉烏帽子や立烏帽子が、笑声と共に一しきり、波のやうに動いた。中でも、最も、大きな声で、機嫌よく、笑つたのは、利仁自身である。

芥川龍之介芋粥」より

こういうやりとりのあと、躊躇して敦賀へ行って、沢山の芋粥を目の当たりにして食欲をなくし、最後は狐にも芋粥を振舞われるのを主人公は見届けます。なるほど、主人公は芋粥に飽きたいという欲望を持ち続けた幸福な人間でもあったんですけど、敦賀行きでその夢すらなくなってしまった悲しさはあるのかもしれません。けど、そういう悲しさを芥川はほんとに云いたかったのかな?と、疑問に思っちまったのです。そんなような解説だった気がするんですが、当時高校生だった私はほんと納得がいかなかったのです。


善意でもなくて、計算づくというか美味しい芋粥をたっぷり食べさせてやりたいという親切心は芋粥を食べさすほうにはないかもしれません。「どう答へても、結局、莫迦にされさうな」わけで主人公に選択肢はないのです。そこらへんは悲劇的です。怪しいところもあるかもしれません。けど、京都からいちいちからかう目的で敦賀まで連れ出すだろうか。


自分の行為は相手の「良かれ」じゃない可能性がある、と言う想像力がない人間は官位があってもどこか残酷、人間のどうしようもなさ、下等さ、そういう縮図をこの作品で描きたかったんじゃないのかと。
そうおもって、個人的に放課後国語科の教師に食って掛かったのです。別の古典の先生が暫らくして助け舟をだして、そういう見方もできる、という言質をとるまでねばったんすけどイマイチ判ってもらえなかった。

この「芋粥」の一件があってから私は自分の意見に必ずしも自信がなくなり、自分の意見は少数派かも、と思うようになったのです。特に、文学に関しては、ですが。ですから、あまりこのブログ、参考になさらないでください。わざわざ検索でいらっしゃる方。