恐怖とひきこもり

体感して、柔肌を傷つけないとわからないことがあります。

昔居た、寮の中でのこと。
ある日着替えのとき親しい後輩の視線に気がついた。コンタクトレンズを外してるとあまり目が見えないから気がつかなかったけど、そういえばこいつ、風呂場でも、じーっと、どこかをを見ていた。脚を見ていたのか、その根元かどこかだ。べたついた視線を感じて、今まで感じたことの無い視線を感じて妙に怖くなった。ついでにこれはなんだろう、と思った。この後輩の中で、私は、なんなんだろうとおもった。けっこういい奴だと思ってたし慕ってくれれば悪い気はしない。そのうち女子社員にパンツの色を教えていたらしいことがわかる。金山のダイエーで買ってた水色のブリーフとか。こいつはそんなものまで見てたのか。普通だと思ってたのだけど、そうではなかったかもしれないとおもいはじめる。すくなくとも自分はルックスは良いほうではない、という自覚はあった。あ、けど、好奇心があって深夜も遊んでた十代のときにあちこち連れて行ってくれてたすこし年上の同性は、考えてみれば、私がかわいくなくても触ってきていたし。そうか自分も二十代でもそういう対象になるのか、というのがわかる。
後輩の視線がなんとなく変わる。計算してるのか、それともこちらの自意識過剰か?
しばらく自分より背の高い後輩が自室にやってくるのが怖くなかったと言ったら嘘だった。



両親が病気になる。
そうすると、いろんな人が来る。たんに見舞いで来る人。そうでない人。私の顔は幸か不幸か年相応に見えない。運の悪いことに実家はいくつか難問を抱えていた。それを知ってて、ホントに親切な人もいる。けどそうでない人もいた。疲労困憊や、体調不調に就け込んで、ついてくることもある。大人は卑怯だ。や、卑怯じゃないか。計算高い
私は社会人でも学生でも通用する相手に威圧感を与えないくらいの顔と体つき。故に相手はこちらを御しやすいと考え、自分のペースにのせようとする。こちらがそんなこといってないのに言ったかのような発言は日常茶飯事。正直、納得するまでこちらはくいさがる。なめられてたまるかという感じ。何とか自分で切り開かなきゃいけない。結論を出さなきゃいけない。妙な相手に利用されないために闘ったつもり。持てる知識と、使える助力をつかって。
けどこのときも怖かった。



世界は綺麗じゃない。
社会は誰も守らない。容赦がない。私は自分自身を守る事を考えなくてはいけなかったし、観念的な今までシールドに守られていた安穏とした優しい世界はもうない。
相手に御されてはいけない。意思表示をしないと負けるし弱いものは組み敷かれるか利用される。それが社会かもしれないと考えます。
弱みを見せたらお仕舞かも。そこに就けこむ心貧しきものも居る。彼らに神の恩寵を、というのは間違ってないのかもしれない。けど、その価値はホントに有るのかともおもう。
世の中は怖いです。どこに地雷があるのかが判らない。
随分いろんなところをすりむいてきた気がします。
しかし、踏み出さなきゃなにもはじまらないとわかっているからひきこもりにもならずに済んだのかもしれません。

それは私はまだ退化した二足歩行の動物になってないという証明かもしれません。