スクロールする行為もしくはなんとなくそこにあるものを読んでしまう悪癖

もしかしたら、貴様なにをおかしなことを言ってるのだ、といわれそうなことを書きます。私はどちらかというと文字があると読んでしまいます。電車が来るまでのあいだ本を引っ張り出すほどではないちょっとした合間に駅にある広告の文字列を読んでしまったり、病院で会計待ちをしてる間に病院からのお知らせやお願いなどの文章を既に知ってても熟読してしています。こういうのがうっかりPCやスマホで文字のあるものを見かけるとやばいです。常にではありませんが、場合によってはなんの気なしにそこにあるものを読んでしまいます。

たぶんなんども繰り返して書いていることなのですが、私はいまはもうないはてなハイクというSNSに一時期いました。そこは140字とか280字の制限もなく、スマホやPCなどでスクロールして読もうと思えばいくらでも読めます。でもって、時間のあるときにときたま読んでいました。ただ読むといっても書いてる方と読む方が同じ程度であれば話は別ですがそうでない場合は悲劇で、断定からくる結論があってそれだけで断定からくるゆえになぜそういう結論に至ったのかがさっぱりわからないとか、質問をされて文章で答えてるうちにどっちでもいいじゃないですかといわれるとか、日本語で書かれててこちらも日本語を読める(はずな)んだけど気が狂いそうになったことが何度かあります。そこで私は怖くなって徐々に距離を置きはじめ、読んだとしても気が狂わずに済むような文章の訓練を意識的にしはじめるわけですが、いまだ自信は持てません。

話はいつものように素っ飛びます。

1日付の毎日新聞に台湾の唐鳳(オードリー・タン)デジタル担当相のインタビューが載っていて、主体性が大事であると考えてることや台湾のデジタル政策に加えて言語の多様性からくる多様な価値観の並存の可能性について触れてて(ぜひとも詳細は毎日新聞をお読みいただきたいのですが)きわめて興味深かったです。でもってすごく些細なことに私個人は喰いついています。タン大臣はどこにでもあるようなスマホを持たず、どの資料を探したいか誰と連絡を取りたいのか意識できるガラケーのようなボタンで操作するスマホを使いこなしてるそうなのですが

スマホのタッチパネルに指を滑らせてスクロールする行為は次第に無意識になってゆき、やめられなくなります。すると、自らが意識した主体的な行為ではなくなってしまう。

 と語ってて、妙に腑に落ちています。タン大臣ももしかしたらスクロールする行為を無意識のうちにやってたのかもなんすが。

個人的なことを書くとはてなハイクも読みたいものがあって読むわけでもなくときたまだらだらとそこに書いてあるものを読んでいた時期があるわけで、それがタン大臣の言葉を借りれば「主体的な行為」であったかというとかなり怪しいです。タン大臣の言葉でやっと気がついたところがあります。だから「気が狂いそう…」と思えるまでそこに居たわけで。くり返しになりますが読んでるうちに反面教師的に学んで文章の訓練をしなければならないと主体的な行動を起こすに至ったわけで、そこに居たことがマイナスだったとは思ってはいません。

もっとも冒頭に書いたように文字列を読んでしまう癖は治ってはいません。クセを自覚してるので前からスマホもPCも気を付けてはいます。でもなんとなくスクロールしてしまうことを継続すること≒タン大臣の言葉を借りれば「主体性な行為ではなくなってしまう」ことはついやりかねない可能性は今後もあるので、より気を付けるつもりです。