このブログについての賢くない選択(もしくは「収益化攻略」の文字を見て)

私が利用してるのははてなブログです。たぶんPCで閲覧すると左上に収益化攻略と書いてあると思われます。はてなユーザー以外の人がここを確実に読んでいる(可能性が高い)のでちゃんと説明すると、最近はてなはてなブログの収益化というのを奨めています。営利の法人ですからその姿勢は理解できなくもありません。しかしながら個人的にはそういうことをするつもりがまったくありません。

いくつか理由があります。

一つ目。なんども繰り返し書いていることですがはてなには以前はてなハイクというSNSがあって、そこで私は質疑応答を含めて「日本語で書いてあるけどなにをいってるのかわからない他人の文章」に出くわしています。その「他人が書いた文章が理解でない」経験をしちまうと「おのれが書いた文章は他人が理解できない可能性もある」ことに気が付いています。じゃあ、誰もが理解できるような・意思疎通ができるような文章とはなんなのか?という素朴な疑問に行き着くのですが、明快な答えはわかりません。しかしひとつのヒントとしては同質性の有無が考えられます。同じ同質性を持つと判断すると人は説明を省きがちになります。話を戻すとそれらの経験を通して「なにをいってるかわからない文章を書きたくない」という意思を強く持つようになっていて、いまに至ります。その延長線上にこのダイアリがあって、もがいています。訓練のために書いてる文章で収益化というのは考えていません。お金が欲しくて書いてるわけではないからです。

なお名誉のために書いておきます。「日本語で書いてあるけどなにをいってるかわからない文章」を書いた人には多くのフォロワーが居ます。(読んでわからなかった文章を書く人が複数居るのですが)その人たちの文体を真似して同質性を持てばその人の言ってることがわかるかもしれません。しかしながら身をもって「誰もが判る文章」ではないと理解してるわけで、うっかり真似るわけにはいきません。できない相談です。

二つ目。ここ数年、自分が読みたいと思うようなものを自分で書いておきたいという変な意識が強くなっています。でもって、それらが万人受けするとは限りません。 もし収益なんてのを意識しだしたら私は軽薄なのでそれらを絶対書けなくなる≒ストレスになるはずなので、近寄るつもりがありません。

三つ目。歳をとると自慢話と思い出話と説教話しかしなくなる、と高田純次さんが述べておられたのを以前読んだことがあってそれは醜悪かもしれないと思い、そうなったらいつでも止められるように、なるべく撤退は容易にしておきたいというのがあります。収益なんてのを意識したら未練がでるでしょうから、したくないのです。

「収益化が可能な機会がある」のに「それを選択しない」のは、なんとなく賢くない選択に思えるかもしれません。しかしながら愚行の自由ってあると思ってて、人って賢くないことをしても良いと思うのです。賢くないやつのブログをどれほどの人が読んでいるのかわかりませんが、いましばらくお付き合いのほど、よろしくお願いします。収益化を奨めるのがイヤでも目に入るのですっごく居心地は悪いですが。

さて、最後にくだらないことを。

今冬、着せ恋というアニメを視聴していました。滅多にアクセス解析等を眺めないのですが先日(月が改まって100PVを越えると表示が出るのですがそのときに)眺めた折、着せ恋について書いた文章にアクセスがあるのを知り「おおおお」と、海獣のような声が出ています。上記で「日本語で書いてあるけどよくわからない文章」のことについての経験を長々と書いているにもかかわらず、私は日本語にもなってないよくわからない言葉を口にしています。でも嬉しいと日本語にもならない言葉を口走ってることってないですかね…って、人は思ったことを口にすることがある以上はおまえが賢くないだけだと云われそうなのでこのへんで。