悪い評判をたてられたときのこと

民事訴訟法というのがあって、ものすごく大雑把なことを書くとおのれに有利な事実については立証する責任があり、それが出来なければ負けることがあります。

じゃあ書面や証拠を読んでて互角で、債権者債務者どちらかを勝たせたいと迷うとき、裁判官はなにによって判断するのか、というと(法学部に入って法曹に行かずにあほうがく部卒を自称してるので)正直、わかりません。でもおそらく「勝たせたい」と思ったほうなんだろうな、という推測をしています。「勝たせたい」と思わせるにはなにが必要か、といったらもうこれは民訴の世界とは別に話になってきます。

民事訴訟法から横にズレて、悪評をたてられた時、やれることとしたら「そんなことはない」という証明をしなければならなかったりします。以前、異性を結果として門前払いしてしまったとき金銭について事実でないことを噂としてたてられ(Excelで桁区切りを稀に忘れることがあっても金銭管理はガラス張り対応であることを周囲は知っていたので半信半疑で)その噂を私はほぼ知らずにいて、しばらくしてこういう噂があんねんけど?と問われ、つい吹き出してしまって「叩いてもほこりも出ないですよ」と告げて調査には協力したうえで煙も火も出なかったのですが、悪評をたてられたとしても事実でなければ消えちまうのだな、という体験をしています。でもこれは個人的体験に過ぎません。

悪評をたてられたとして、民事訴訟の世界でなければ裁判官が裁判するわけじゃないので、それを聞いたほうは印象が左右しちまって、事実でなくても誤信してしまうことがあったりします。事実無根であることが証明しにくい場合、たとえば小さいらしいという噂をたてられて事実巨根です、という証明をするわけにもいかないような場合、否定すればするほど悪評を気にしてるムキになってるという印象を与えてかなり厄介な事態になります。でもって悪評を信じるかどうかは悪評を立てられた相手を「勝たせたい」と思えば信じなくて、「勝たせたくない」と思えば信じてしまうんだろうな、と推測しています。「勝たせたい」と思わせるものの正体ってなにかといったらむずかしいのですが。

悪い評判をたてられた者の説明責任、という語句を読んで思考が謎発展してるのですけど、悪評をたてられた時の最大の反撃は、ダメージを与えたいという悪評を立てた攻撃側の目的を粉砕することになりますから、もしかしたら悪い評判をいっさい気にせず「優雅に生活する」とか「いつもと同じ日を送る」なのではないか、と解を出しています。悪評をきいた人が「勝たせたい」のは、悪評が事実ではないことを証明することに熱心な人ではなくて「いつもと同じ日を送るのを粉砕されそうな側」なのではないかな、と。もちろん正しいかどうかはわかりませんが。