「青ブタ」ロス

シュレディンガーの猫という語句がリモコンでカチャカチャかえていたテレビのアニメから聞こえてきて、気になったのでごめんチャンネルを変えないでちょっと見せて欲しい、という趣旨のことを言って頼み込んでそのアニメをみてしまったことを1月くらいに書いた記憶があります。藤沢を舞台にした「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」という東京MXテレビでやっていた(春からはご当地tvkで凱旋放映する)アニメで、1話は見逃したものの録画したりしながら最終回まで飽きずに視聴しました。面白かったです。で、済ませても良いのですが、それで終わらすのがもったいないので書きます。

いくらかネタバレ的なことを書きます。設定は簡単に書けばひきこもりの妹を抱えた男子高校生が主人公でその日常をベースにしたラブコメディもあるSFチックな物語です。何度も同じ日付が連続するという回があり、その回の根底にあるのはラプラスの悪魔という古典的な物理学の概念で、その概念の話を外れることなくストーリーが進みました。その回に限らずいくつかの回の根底にあるのは量子もつれであるとか量子テレポテーションであるとか量子力学を含む物理に関する概念や現象などで、一見不思議そうな現象にも必ず理屈がくっついてて、それらが明かされるのはそれぞれの話の途中やラストで、視聴しているこちらとしては話の展開を追うと同時に根底にあるものを予測する、という楽しみがありました(ただ理系の人間ではないので回によっては概念や現象が見当つかなかったりしたこともあったことを告白します)。そして、起きてしまった事態の解決に関して登場人物たちが自らを変えたり、自力で考え自力で動いて自力でなんとかしようとするところが(言葉として適当かどうかはわかりませんが)環境や人に可塑性があると思ってる私にはとても好ましく、印象深かったです。特にひきこもり気味であった主人公の妹がこのままではいけないと自らを変えようとして行動を起こす顛末はついうるっときちまってます(40overのおっさんが深夜にテレビの前で涙目になってるのをご想像ください)。

一般的でないかもしれぬことを書くと、作品に不意にえぐられています。たとえば登場人物が抱えている孤立や居場所を失う恐怖があり、そうなることを過度に怖れて奇異なまでに周囲に合わせようとするシーンがありました。でもって高校の頃の話をちょっとだけ書くと私は本名でなくて蔑称ではないもののあるニックネームで呼ばれ続けていて、最初抵抗してたものの「そもそも嫌われてたらニックネームで呼ばれてないだろ?」と真顔で諭されからは内心少しイヤだなあと思いつつも仲間外れにされるよりは良いかと考えてごまかして・受忍していて、つまり(積極的に孤立を呼ぶことはしなかったけど)根っこでは居場所を失うことを怖れて・孤立を怖れてておのれも登場人物とさして変わらない、と気づかされ、奇異というおのれの感想がブーメランのようにおのれに返ってきてこめかみに触れるか触れぬかの状態でナイフでスッと切られた気分になっていました。って、てめえのことはともかく、その回において登場人物が自らを変えて孤立を怖れぬようになり自力で新しい世界を切り開いてゆくのですが、フィクションってわかっていても心底ほっとしてます。ほんとバカです。

また作品の中で、悪口を言われた経験とか身体のコンプレックスであるとかよくできた姉妹を持つものにしかわからないであろう劣等感であるとか、人によってはきわめて身近であるかもしれぬテーマも織り込まれていて、万人受けしないであろうものの単純な娯楽アニメではないところに唸らされちまってます。でもって続き物のアニメを毎週欠かさず見るという経験を三十年以上しておらず、最終回を観終わったあと「もう来週は無いのだな」と思うと若干さびしい気が。そしてああこの若干さびしい感覚がロスというやつか、と気がついた次第。新しい学習もしました。あと「バリむか」という博多弁も学習して使っています。

原作があるのを知ったので買おうかなと書店に寄ったのですが、なんだろ、題名が題名なのとライトノベルズなので表紙が若干アニメ絵でスーツでちょっとレジへ持って行くには勇気が必要で、まだ買えていません。でもそのうち覚悟を決めてレジへ持って行くつもりです。それくらい惹かれた作品であったり。