ブラタモリ豊洲

東京ローカルの話で恐縮です。
富岡八幡宮や新木場の熱帯植物園や亀戸のおでん屋とか幾つかの場所はピンポイントで知識はあるものの東京在住のくせして江東区にはあまり縁がなかったせいもあり、いま豊洲の魚市場のあるあたりはガス工場で(ガス工場由来の有害物質が出て東京ローカルでは問題になり浄化に時間をかけた)、311の地震のときに液状化したという話は聞いていてああ埋め立て地だったっけ…という知識はあったのですが、なぜ豊洲にガス工場があったのか、ということを豊洲を扱ったブラタモリを視聴するまで考えたこともありませんでした。
豊洲魚市場のあるあたり(番組内の言葉を借りれば豊洲はハンマーのカタチをしていてそのハンマーの柄の部分)は戦後まで埋め立てはされておらず、米軍が東京港内の重要ふ頭を接収してしまったために緊急避難的に埋め立ててふ頭を作り新設のそのふ頭に物資を荷揚げし(ノースドックを接収されてしまったので山下ふ頭を作った横浜港と同じ現象が東京にもあったわけで)、石炭置き場やその石炭を利用してガス工場や発電所が開設された、ということを視聴して今回はじめて知りました。
いささかマニアックなんすが総武線の亀戸というところから非電化の単線の貨物線が南に塩浜というところまで伸びています。その塩浜には運河があって内陸部から鉄道で運んできた貨物を運河に浮かべた船に乗せ換えてたのかなあ…という程度にいままで思っていたのですが、石炭から揮発部分を抜かれたコークスをガス工場から運び出す鉄道路線豊洲に敷かれていた、ということも番組内で触れられていて、塩浜から先の豊洲まで伸びていたとするならおそらく逆で、豊洲に着岸した貨物やコークスを各地に発送するための重要な路線であったのかも。
興味深かったのは昭和10年代に豊洲に(いまは防風林を兼ねている)防波堤を作り東京港を整備した過程で赤字→事態打開のために博覧会をやろう→でも戦争のために中止になった、という歴史です。平成ひと桁というか私が10代の頃にいまのお台場(臨海副都心)の整備が進行していて、でも苦戦が予想され先行き不透明→事態打開をしたいから博覧会をやろう→都知事が青島さんになった時点で中止、ってのがあって、なんだろ、お祭り騒ぎで事態を打開しようとするのは平成だけではなかったことを知ると、ああ人間て簡単には変われないのだなあ、と。
魚市場をスルーしてて拍子抜けしたのですが、ほぼ45分間知らないことだらけであっという間でした。
次回はローマですけどもしかしたら国内はもうやらないのかなあ。47都道府県の中で唯一やってないのが徳島で、大歩危小歩危とか地質的におもしろいとこなのでやって欲しいところなんすが。