待ち時間のワナ

前にも書いてるのですが数年前から視野が欠損する可能性のある緑内障になってます。しかし視野欠損の自覚がまったくありません。異状があると説明をうけているのは主に右目なのですが、右目が極端に悪いので左目で生活してるようなものなので日常生活にもまったく影響はありません。緑内障は眼圧が関係してるのですが最初から眼圧は低めで、でもなにもしないより良いので眼圧をさげるための点眼を続けています。日本人の平均眼圧14.5mmHgを下回る10mmHgをずっと両目とも最初からキープしています。
ところが今夏、検査の結果を訊いたら残念ながら視野の欠損が拡大してきてるようで(繰り返すけどその自覚はない)、カンベンしてよーと思いつつも医学部をでているわけではないしまな板の上の鯉というかドクタの指示に従います、ということを述べて引き下がり、この数か月は点眼薬を変えて過ごしていました。今日、再度検査を受けたら視野の欠損の拡大を抑えることがその点眼薬のおかげでできてました。とりあえずのところは安堵したものの、改めて訊いてみたのですが、眼圧が低くても視野欠損が広がるのはこの先もあり得るらしく、それがなぜかというのは解明されてはいないらしかったり。
なぜそのようになったのかわからぬもののさらなる症状の拡大がみられないとき、いちおう安堵はするのだけど、なんだろ、理由不明ゆえそのうちおそらく悪化してゆくはずで、会計待ちの間に頭の中に「執行猶予」という言葉が浮かんだのですが、言葉の意味としてはあってるかどうかはわかりません。(クリアな視界をあとから与えられたので失いたくない意識が強くて目のことはちょっと冷静になれなくて)ダメになるのならダメになるまで執行猶予中は精一杯生きてやる、というプリミティブな感情がそのとき芽生えたんすけど、よくよく考えてみると眼科なので生命とは全く関係ありません。
待ち時間ってなんだか思索が謎発展するトラップがありませんかね、ないかもですが。