些細な記憶

誰もが知っている枕草子の書き出しに「春はあけぼの、ようよう白くなりゆくやまぎわ」というのがあります。「やまぎわ」が秋葉原電気街のヤマギワではないのは想像つくのですが・なんべんも書いていますが、東京に育った高校生からすると朝陽がのぼる方向にある山で知ってたのは5階建てくらいの高さの上野山と小さな丘みたいな浅草の待乳山聖天くらいのもので、書かれてる「白くなりゆくやまぎわ」ということがどういうことかいまいちぴんとこないのでやむを得ず機械的に記憶してやり過ごしてました。で、高校のときには修学旅行がなく大学が決まったあとに野郎二人で京阪神へ行って、そこで具体的に「京都では朝、太陽が山を越えて昇る」ことを理解しました。机上でむりやり覚えさせられたことって、現地へ行かないと正直わからないことがけっこうあるような。修学旅行ってもしかしたらそういうためのものなのかなあ、と思わないでもないですが、ほんとのところはわかりません。記憶に間違えなければそのとき定番の銀閣寺にも行ってます。どこらへんが「銀」なんだ?というよくある定番の疑問はおいておくとして、足利義政がいた東山山荘=銀閣寺って習ったのですが銀閣寺のあるあたりから応仁の乱のあったであろう西陣のあたりまではそれほど遠くないことに気がついて、近くで戦乱が起きていたにもかかわらずほぼ介入せず和歌だ蹴鞠だ造園だ、ってやってたわけですから、義政って人はいまだったら夏休みの最終日の夜まで山積した宿題を無視して遊んでしまうような現実逃避癖のある人だったのかも、ということが想像できて興味深かったです。もっともそれらの経験がありながら日本文学であるとか日本史を専攻することなく大学は法学部で4年くすぶりあほうがくぶ卒を自称するいまに至ります。つまりその後の人生のなんの役にも立ってません。でも修学旅行っていうと学校で行ったわけではないその旅行を思い出します。泊まったところ、ラブホみたいなところもあったんすけども。
はてな今週のお題が「修学旅行の思い出」なのでちゃんと書きます。中学は大きな学校ではなかったので修学旅行はバス移動もなくガイドさんがつくわけではなく、いくつかのグループに分かれてグループ内で各自分担して事前に調べていわゆるレジュメを作りそれを現地で責任をもって説明する、というスタイルでした。担当した場所で説明をしたあと、偶然同じところを担当していた別のグループの同級生が近寄ってきて小声で苦笑いしながら「怒られちまったよ」といったあと「おまえやりすぎなんだよ」。説明に差があったらしくその同級生にどうも恥をかかせてしまったみたいで。突出しないで横並びのほうが波風立たないよなあ、ということもそのとき学習したんすけど。
なんだろ、本来は学ぶことではないかもしれない些細なことのほうが、けっこうあとあとまで記憶に残ることってないっすかね、ないかもですが。