いつの頃からか「普通、そういうことしないやろ?」「普通、そういうふうには考えないだろ?」というのをときたま浴びて生きてきました。よくわからない同質性を求められるのです。厄介なのは発話者のなかには「普通」があるらしいんだけどその「普通」というのがちっともわからないことがあって普通がどういうものなのか正解がわからないのに普通ではないと指弾され、ほんと、わけわかめです。なのであんまり良い記憶がないので・好きではないのでなるべく「普通」という言葉は使いません。もっとも高尾から先の快速がない勝沼へ行くときなどは普通をつかいますってその普通じゃなくて。
性の分野でもおのれを普通と思ってる人たちはおのれの想像の範囲の外にあることを、普通ではないとカテゴライズします。もちろん普通という言葉をつかわないこともあります。同質性を基に普通と普通でないという分類をされてしまいがちで、発話者と同質性がないと・差異があるときは厳しい場面があります。バイであることを述べたらゲイの人から淫乱扱いされたこともありました。同質性があることを前提にして、しかし差異があると・共通する同質性がないと、なかなか「普通」には扱われにくいです。
数日前、勝間さんが同性との交際を公にして「普通の範囲を広げよう」と述べられていたのですが、考えすぎかもなんすがとっさに「そんなこと可能なのかな」ってのは思いました。繰り返しますがそれぞれに共通する同質性のようなものが普通で、それがないと普通とはとらえられにくいからです。もしかして普通のとらえ方が間違ってるかもなんすが。でもって勝間さんのいうような、普通の範囲が広がるそんな日が来るのかなあ、来ればいいんだけどなあってのはあったり。