言論の自由を共有できない国

ドイツの場合、表現の自由言論の自由はあるのですが、全体主義の賛美は処罰の対象になりかねません(刑法130条民衆扇動罪)。全体主義賛美を罪とする発想は表現の自由ってのと矛盾するようにも思えますが憲法のなかに「自由で民主的な基本秩序を攻撃するために濫用する者は(自由などの)基本権を喪失する」という条項が入ってるので可能で、(なんでも自由ではないかわりに)自由をうばう存在に対して国全体で現行憲法を守るいわゆる戦う民主主義・戦う憲法の形式をとっています。ちなみにわが国にも表現の自由を定めた憲法21条があります。
言論の自由表現の自由はドイツや日本に限らずいくつかの国で重要なもの、ととらえられてます。なぜ重要か、というとこれまた長い話になっちまうのですが、根っこの根っこの部分を述べると、人というのは思ったり考えたりしたことを外部に表明し、他の人に聞かせ、他の人の意見を受けてさらに考えを深めることがあります。それが不可能なとき、どうなるかというと思考に修正が利かなくなるのです。新聞ってのはいろんな理由で叩かれますが、新聞各社スタンスが微妙に違うので、読んでるほうもあれこれ考えることができます。統一されたらそれができなくなってしまうので、翼賛的にならないことが大事なのです。表現物でもこのブログのように無精ひげに乳首があたると気持ちいいとかどうでもいいようなものがありますが、どうでもいいかどうかはそれぞれが自らの見識と良心に従って選び、また律し、そのつど正してゆくべきものであって、その機会を権力が・法律が力技で押さえつけるべきものではありません。それを力技で押さえこんでしまうといわゆる「全体主義」 へとつながる危険な方向へ行っちまいます。
さて、ロシアでは未成年に対して公然と同性愛について語ることがNGという法律が存在します。ドイツは上記のような戦う憲法を抱えてる国なので、性のあり方によって言論の自由や集会の自由が妨げられるべきではないという立場からか、ドイツのガウク大統領がソチ五輪にずいぶん前から行かないことを表明していました。ちなみにメルケル首相は前から五輪には行かないのですが今回も行ってません。ついでに書くとフランスのオランド大統領もアメリカのオバマ大統領も行きませんでしたし、キャメロン英首相も(表向きスケジュールが合わないことを理由に)行きませんでした。
そんななか、ソチにのこのこ出かけていったのが、どこかの国のトップです。私は女の人を抱いた経験と男の人に抱かれてることもあるので厳密に同性愛者かといわれると怪しいところがあるので声高には述べませんが、おそらく対同性愛者に限らず、日本という国は言論の自由表現の自由ということに関しては二の次である、独・仏・英・米とは異なる価値観を持つ国である、といういわんでもいい余計な・強烈な意思表示をしちまいました。
五輪にかくれてほとんど報道されてないけど地味にとんでもないことしでかしたよなー、と。うーん。