ドイツ史というのは日本においてあんまり有名ではありません。ヒトラーの名前はおそらく誰もが知っていますがそれ以外はさっぱりのはずです。いまから十数年前に亡くなった土井さんがナチスの授権法(ワイマール憲法に関係なく必要な立法措置を行政府に与える法)のことを党首討論でもちだしてて、当時の森首相はやはり知らなかったのをニュースで偶然視聴してたことがあります。歴史の教養というのは国会議員には必要なのではないかと思うのですが、それは横に置いておくとして。
ナチスの場合、治癒できない患者を安楽死させる権限を医師に与えててガス室送りにしたことがあります。限られた資金や医療スタッフをどうやって生かすかという視点からです。社会全体のためにという理由で生命を二分して優劣をつけて異なる措置をしています。ドイツ史を追うとちらっちらっとそういうものが出てきます。たとえばナチスの場合「優秀なアーリア人を残す」ことや「最優秀な人種の繁殖」というのを社会全体のために「国家がしなければならないこと」というふうに根っこでは考えて実行し、優劣二分のうち劣るとされてしまったロマやユダヤ人をガス室送りにした事例は有名かもしれません。有名ではない事例では優秀なアーリア人を残せないので男性同性愛者というのはナチスの手によってドイツ国家の維持を妨げる存在として規定され、ドイツ刑法の175条を厳格化してして場合によっては社会全体のために強制収容所行きになってます。
与党の代議士が「LGBTは生産性が無い」から行政支援について予算をつけるべきではない、っていうのを東京毎日で知ったのですが、飛躍を承知で言うと・杞憂だよといわれそうなのを承知で言うと、個人的にはやはり人間を二分したナチスの政策を想起しました。なんらかの基準で二分して、つまり「生産性の有無」であるとか「子を産む産まない」で、政策的に行政の費用に関して差をつけるべき、というのは二分して悲劇を生んだ近現代史を知ってたらたぶん絶対口にしないはずで、それらの発言は別に自由なんだけど(この国はどんな思想であろうと発言は自由であるべきです)、発言した人は単に教養がないだけか、ガチで全体主義の思想を持っているか、どちらかなんだろうなと推測します。もちろんナチスのように二分して優劣をつけてとか、すぐそうなるわけではないでしょう。でも私個人は国がそのような出産であるとかで国民を二分して予算措置などで優劣をつけることは避けるべきだと思ってるし、やってしまったらhistory repeats itselfなのではないか、と思っています。
私は史学科をでているわけではないので何割か差っ引いてほしいのですが、1900年代から1990年くらいにかけて個々の人間が持つ「人間性」よりも「社会のために」というものが力を持っていた時代であったと思っています。その延長線上にナチスの諸政策や、日本におけるハンセン病患者の断種であるとかがあったととらえています。人って「よりよい社会のために」というのが出てくると容易にまちがうのではないかと思っています(今回ちょっと物議をかもした発言をした人も内容に絶対同意はできないのですが、根っこは自ら提唱したことがよりよい社会の実現のためだと思ってるはずなのですが)。
じゃ、どうするか。
答えはわからぬものの、失敗を含めた近現代史というのをほんとはもっと知られて良いはずだとおもってるのですが、でもあんまり顧みられてない気が。