鉄博へ

大宮へいってました。息抜きの合間に仕事してるような楠田(仮)です。でも、平日がんばってるので見逃してください。
今日は一人で行動してたので、以下、趣味に走ります。


最初の目的地は鉄道博物館です。そこへ行く道すがら、あるのはSLの静態展示。大宮という町は鉄道工場がずっとあって、蒸気機関車の製造も一時やってました。いまでも工場があります。もっともいまでは首都圏の電車の検査や改造工事が主です。
で、これはその工場の脇にあるもの。

D51です。どうでもいいムダ知識ですが、Dというのは動輪の数が4つある、ということを意味します。動輪が三つだとCです。
大宮工場の先にある、鉄道博物館はこんな感じ。

ちょっと薄暗いっす。

万世橋にあったころの交通博物館の鉄道部門を発展させたものなので、万世橋時代にあったものもちらほら。

↑機関車を半分すぱってきってあって、こんなふうに内容がわかるようになってるのを私は小学生のころ、みてたんすけど。大きなものを動かすのには動力が必要で、その動力を蒸気機関車の中で作ってるメカニズムをなんとなく理解できるようになってます。蒸気機関車の場合は、石炭で火をおこして水を供給して水蒸気を発生させ、それを動力源としてるわけっすね。知識としてはなんとなく知ってたけど実物をつかってあると、すげーとか昔は素直に思ってたわけです。


万世橋時代より、展示スペースが広くなったのはいいことかも。

日本は山国なので、峠越えってのが避けられません。で、これは碓氷峠(長野と群馬の県境の急勾配のある峠)で使われてた急勾配に対応するED40形機関車。動輪が4つでD、蒸気機関車と違って電気機関車なので頭にEをつけてます。で、アプト式、という特殊な構造を持ってます。レールとレールの合間にもう一本、あるのわかりますかね。

それをこうやって歯車でかみ合わせて急勾配の坂道を登ってゆきます。いまは碓氷峠は廃止になってて、新幹線ですけども。
ほとんど見てる人はいなかったのですが、こういうの、実物の威力っすねー。


手前が181系電車と、奥が455系電車。

181系電車は上越線の特急に使われてた直流区間用の特急電車です。ボンネットには静音化できずにやかましかった電動機や空気圧縮機が入ってます。
対して455系電車は東北で主に使用されてた交流・直流両方走れる急行・普通用電車です。


日本の電車の走ってる線区は直流と交流、二種類にわけられます。東海道、山陽、上越阪和線や(福岡と札幌以外の)大都市近郊や古くから電化してたところはたいてい直流です。上越線はわりと早い段階で(途中上越国境で峠越えがあったので)直流電化されてたので181系のような直流用の特急が走ってました。戦前に外国から輸入した電気機関車も直流だったんすが一時期は直流の電動機使用の電車が一般的であったのと直流の電車の車両製作費も安くすんだので、大量製作されました。ただしデメリットがあって、電圧が低い(JRは1.5キロボルト)ので変電所が多く必要です。
逆に交流電化は電圧を高くすることが可能で(20キロボルト)変電所などが少なくて済みます。建設にかかるコストを下げることができますが、交流用の車両製作のノウハウがわが国になく交流電動機が一般的でなかった時代は車両のほうで交流をいったん直流に変換するための設備が必要になってきて(しかも欧州の技術を輸入するわけでなく自前で開発したので)車両代がすこしばかり高くつきました。でもって車両数が少なくて済む地方は一時期は交流で電化しました。黒磯以北の東北線や北海道、九州や北陸とかです。で、交流区間だけ走る電車を作って米原や小倉で乗り換えてください、ってなわけにもいかないので、交流と直流、両方走れる車両を作る必要があって、そのための車両のひとつが455系です。


101系電車。大都市近郊の通勤電車として導入され、日本の高度成長を支えた直流用の車両です。東京だと武蔵野線、大阪だと関西線でよく見かけたかな。

手前にあるのは台車や制御機器そのほか。実は万世橋時代にもあったのです。これ。万世橋時代はすぐそばにパンタグラフもあったはず。

奥がノッチ、手前がブレーキシューです。ノッチを操作して電車を加速させます。で、手前のブレーキを操作して電車を止めるわけです。最近はこの形式でなく加減速すべてを一本のハンドルで行うのが増えましたが、旧来のシステムを実際に操作すると目の前の機械がどう動くか、見れるようになってるわけです。小学生のころ、何度か操作しました。なんか懐かしかったっす。
地味なんすけど、貨車も展示されてました。これは鮮魚輸送用の貨車。

今、汐留っていうと日本テレビとかありますけどあの場所は元貨物駅で、汐留のすぐそばに築地市場がありますが、そこに鮮魚を鉄道で運んでたわけです。
EF66電気機関車です。Fですから、動輪が6つ。私が小学生のころはこれがいちばんパワフルな機関車として有名でした。

ヘッドマークにコンテナ特急たから、とあります。

コンテナってこんな感じですがこれは画期的なシステムだったのです。戸口から戸口へって書いてますが、トラックで荷主のそばまでもってって、貨物駅へもってゆき、コンテナはその行き先へゆく貨物列車に載せます。たとえば、東京から秋田へ貨物を送りたかったら、秋田方面行きの直行するコンテナ貨物列車にのせます。たいてい、空きがあれば翌日には着きます。昔はそういうふうなものではありませんで、いつ貨物がつくのか、誰もわからなかったらしいのです。東京から秋田へ貨物を送ろうとすると貨物駅にトラックをのりつけて貨物車に貨物を積み込み、まず北へ行く貨物、とりあえず中継地点がある福島だか仙台だかへ行く貨物列車につなげます。で、中継地点である福島や仙台に着いたらこんどは中継地点のある盛岡だか山形へ行く貨物列車につなげます。山形や盛岡に貨車が着いたら今度は秋田行きにつなげるのです。で、ぜんぜん時間が読めなかったらしく、貨物がついたところで荷主に連絡が来たわけでもないらしいのです。だから発送しましたよ、って連絡を受けても最悪の場合、貨物車3両分の発送をして、翌々日に2両、その一日後に1両、なんてこともあったそうで。以前話を聞いたときにには、にわかには信じられなかったのですが、昭和の時代にはそれが当たり前だったようで。
世の中、便利になったんすね。


日ごろちゃんと見られないものの展示もあります

たとえばパンタグラフ

空気ばね台車

鉄道用の信号機っす。
誰が読んでるかわかりませんが、信号について解説しておきます。鉄道の信号機の目的は前を走っている列車と衝突しないためのものです。鉄道の場合はブレーキをかけても急には止まれません。通常の在来線の車両は急ブレーキをかけると600m以内で停車するようになるべく設計されてますが、信号で一定間隔で区間を設けて、その一区間には原則1列車しか入れないようにして衝突しないように前を行く列車との距離を一定以上に保たせてるようにしてます。JRの場合、その区間には二つの電車は絶対は入れません。ただしその手前までは制限速度が課せられますがすすめますし、駅と駅の間というわけではないので、大宮駅と隣のさいたま新都心駅に電車が停車しててもその間に電車を走らせることも可能ですし、京浜急行にいたっては駅に停まってる電車のすぐ後ろに後続の電車が「はよどけや!」とばかりに待ってることがありますが、これも必ず信号機の手前までぶつからない程度の制限速度で進行し、信号機の前でお行儀良く待ってます。
鉄道信号機の場合、色は赤、黄、青で、それぞれ停止、注意、進行です。で、停止→注意→進行の順に変化し、注意では基本的に走行できますが、一定の速度以下です。で、上の信号機は光源が四つありますが(五つのもあります)、黄色灯が二つあり、単純な黄一灯の注意と青一灯の進行の間の青と黄一灯ずつで表示する減速、赤一灯の停止と注意の間の黄二灯で表示する警戒という表示をするためにそうなってます。(山手線などではこういった信号機はありませんがかわりに車内に何キロまで出して良いという信号機があります)


駆け足でざっと紹介しましたが、ちゃんと見ると二時間ぐらいはかかるかもしれません。ただ、個人的には万世橋時代に比べて地味だけど大事な展示(たとえば保安装置の説明や急勾配を克服するためどうやってトンネルを敷設したかとか)が目立たないところにあったりとか減ったりしてて、エンタテイメント性の強い印象があって、比べて薄くなっちまったなあ、という印象がありました。
でも面白かったです。