空気

なんといえばいいのだろう、ホールや劇場って「漂わす空気」みたいなものがあって、そこで行われてる音楽や演劇と違う次元のなにかが「漂わす空気」をつくってる気がします。その原因のひとつは建物の外装・内装であったりするんじゃないか、っておもうのです。すみだトリフォニーとかは木の色が落ち着きをかもしだし、松本のオペラのホールは赤を基調とした内装でちょっと独特な空気をつくったりしてるのですが。
もうひとつ、あるのはその場に居る人の気合でしょう。付き合ってる相手が居たときには無理やり都合を合わせて一緒に松本の音楽祭に毎年行ってたのですが毎年松本でそれをよくひしひしと感じてました。東京や名古屋から二時間以上かけてやってくる人たちと音楽祭を支える松本の人たちの「音楽が好きで好きでたまらなく、よってたかってこれから愉しませよう・愉しもうとする人の息づかい」ってのが松本のホールは満ち溢れてて、不思議な空間を作り出してましたんすけど。行かなくなってわかったのですが、あそこに漂ってた空気も好きだったんだな、ってのがわかりました。


歌舞伎座に付随する空気ってのはたぶん「歌舞伎が好きで好きでたまらなく、よってたかってこれから愉しもうとする人の息づかい」ってのが作ってます。そしてやはり、そこにいる人の格好や内装外装がその空気作りにけっこう影響してるのではないか、とおもったり。私が世話に何度もなってる4階幕見席は正装を求める雰囲気はありませんが、でも高い席なんかは着飾った人がほんとおおかったりします。歌舞伎座に出入りするのは年齢層高めですが若い女の子もいますし、男の人でも女の人でも和装してたりします。それが歌舞伎座の建物の内外に似合うのです。そして格式ばってないせいかスーツでも普段着に近い格好で一幕だけ覗きに来たの人でも違和感ない建物のつくりなのです。あるときロビーで漠然と、歌舞伎っていう文化はたぶんその歌舞伎役者の人たちだけでなく、その建物やそこに集う人の服装とか歌舞伎好きな人がよってたかって集うことによる漂わす空気ってのを含めてはじめて成り立ってるんではないか、なんて思えたんすけど。個人的には歌舞伎の演目も重要ですが、その空気がたまらなく好きだったりします。
歌舞伎はある程度の舞台装置があればどこでもやれるとおもうし、最新鋭の劇場でも歌舞伎ってこれからも打たれると思うのですが、格式ばらないいまある内装外装をがらりと変えることになんとなく危惧を抱いています。いままで作り上げてきたであろうその文化の一部を踏襲しないのは、なんだか無粋だなあ、とおもっちまうのですが。