雪についてのまとまりのない雑感

さいころ、いろいろ事情があって京都に一時居たことがあって、小学校上がる前だから記憶もさしてしっかりしてなくてうっすら覚えてる程度ですが、で、たぶん京阪電車のどこかの駅で夕暮れ時に電車を待っているときに鉛色の空から絶え間なく降ってきて、ホームの屋根の端から上を見上げたら雪がくるくるっと落ちてくるってのが、雪と言われて一番印象に残ってる光景です。で、京都は底冷えがするところで、立っているだけでは足が地面に凍り付いてしまいそうなくらいに足の下から冷気が沁みてくるところなんですがそのせいか足踏みする人が多いはずで、それに倣ってってか、意味もわからずに大人の真似をしたいだけでそのときはまねて足踏みしていました。えっと、雪が降ると子供にとっては街は不思議の宝庫でした。昔は鴨川べりに京阪電車が走ってて、傘や道路や屋根には雪が積もるのに雪が鴨川に積もらず水が流れていくさまが妙に不思議でしょうがなく、また街全体がなんとなくくすんで見えたのが不思議で、対して、夜に雪が降った次の日の朝、おもいっきり晴れて、外に出たら目が眩みそうなくらいに雪が光を反射してキレイだったとかも、これもまた子供心に随分と不思議なことのように思えたのですが。

「雪は空気中に不純物があるからできる」ということを地学をやらなかった代わりに高校生ぐらいのときになってなんとはなしに一般常識として知り、雪が降れば陽がささない分街がくすむのは当たり前で、雨が降った後空気がキレイになるのと同じく空気中の不純物が減るから雪が降ったあと空気はキレイで、更に雪の結晶が太陽光線を受けて乱反射して輝くのは当たり前かもしれません。そういう理屈とは別に「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」という清少納言の話を知って雪は綺麗なもの、美しいから価値があるものという感覚を覚え、汚いものがあるから美しいものができるってのはなんか因果だなー、と妙に理屈で無いところでも納得したのを覚えてます。美しいから価値があるなんてなんか理不尽だよなーと腹を立てたのですが、理不尽であってもキレイだよね?といわれれば納得するだけの説得力ある一種の美しさが雪には常にでなくともある気がします。もっともこうやって美醜にとらわれること自体が自分の醜さの証明なのかも、とおもいますが。また雪が霙状に汚くなることを雪が腐るというかいわないかとか、どうでもいいことを仲間内で議論したこともあるのですが、本来綺麗なものが綺麗なまんまであるためには厳しい環境に身を置かねばならないんだとか、雪について知ると妙に納得したことを覚えてもいます。

子供の頃は雪の世界は不思議の宝庫でしたが、くすんで見えるのも、翌日キレイなのもその理由を自分の中でなんとなく理解したつもりになって、大人になるにつれ不思議が消え、現実的にいろんなことを知ってしまうと雪なんてどうでもよくなってきちまいました。走りはじめると雪が綺麗だ、などと嘆息してる暇などなく、雪による遅延なんて表示を見ると舌打ちして、ああ、遅れるから連絡しなきゃとか、かえって雪は厄介なものという認識もあります。初めて冬の日本海を見たとき、雪がキレイとか、場所によってはそういうレベルの問題ではないってことを知りもしました。小樽から札幌に向かう途中に窓の外に荒波をたてる日本海が見え、その光景にちょっと絶句しました。鉛色の雲の下に雪は嵐のごとく吹き荒れていて、そこへ負けじと迫力ある荒波をたてた日本海という風景です。雪の思い出でついで思い出すのはこの光景です。運悪く札幌でも少し吹雪いていて、顔に刺すような雪の中、一応来たからにはラーメンでも食べようか、ということになって名物のラーメンを食べました。サッポロラーメンのスープが飲みやすい塩バターコーンが本来の基本というのは北海道の冬場の厳しさは半端なものではないと聞いてはいたものの食べてみて妙に納得したのです。あの苛酷な状況下では、確かにスープまでもたいらげてってのはほんと合理的なのです。寒さに対しての防備の一環なのかも知れません。寒いと感じれば誰しも人間は暖かいものを欲しくなるものだとおもいます。


生きてく上で、荒波をのり切る途中で人肌を知ってしまうと寒いときには人肌欲しくなるもんだとおもうのですが、雪が降った夜に理由をつけて逢いに行き、人肌触れた後にちょっとした疲労と多少火照ったままの身体を引き摺りながらの帰り道に駅に向かう誰も歩いてない道を通るときの、靴の下で響く音とかはなぜか不思議と容易に今でも思い出せることができます。同時に降りしきる雪に霞んで光が滲んで見える鈴らん灯とかも妙にリアルに思い出せます。駅について終電間際ゆえの電車の間隔の開き具合と遅れ具合に舌打ちしながら、ホームに吹き込む風雪に寒い寒いと強く足踏みしたところで、何も知らなかった無垢なころと同じ行為なのにそのときとちがい下半身に違和感の名残が変に主張して自分がさっきまで何をしてたか思いだし、直後にホームの屋根の端から見上げた雪がくるくるっと落ちてくるのを見て、柄にもなく、成分上は同じものが降ってるはずなのになんで小さい頃とはまったく違うふうにくすんでいなくて綺麗に雪が見えるんだろう?とか、答えの出ないことを考えたことがあります。
なんでなんですかね?問うだけ野暮で愚かかもしれません。


いまから思うとそれはたぶん熱病みたいなものの影響で、独り身になっているいま、雪を見上げたらそれはくすんだものとして見えるかもしれません。
幸い、東京はまだ雪が降ってないので確認してませんが。