『十八番の噺』を読んで(もしくは金明竹のこと)

世の中にはたくさん本を読んでいる書評家というのが居るのは知っていて、しかしそれほど読んでないやつが読んだ本について書いてなんの意味があるのか?とここのところ自問自答していますが、答えがあるわけではありません。ただ読んで考えさせられた本はあって、そのまま葬るのがもったいないので、

お題「この前読んだ本」

というのを引っ張って書きます。

最近、林家正蔵師匠のしじみ売りや春風亭昇太師匠のストレスの海ほか11人の落語家が十八番の噺について語る『十八番の噺』(フィルムアート社・2017)という本を読んでいます。語られてる噺を知ってるとより面白いのですが簡単なあらすじも挿入されているので、それほど落語を知らなくても読めます。

その中で強烈だったのが立川こはる師匠の金明竹についての苦悩です。是非詳細はなにかしらの方法で聴いていただきたいのですが・いくばくかのネタバレをご容赦いただきたいのですが、親戚の経営する道具屋で働く気の利かぬ与太郎の動きが話の軸で、その与太郎は「掃除の前に水を撒け」といわれたら二階の座敷の掃除でも水を撒いてしまい、庭の草をむしれといわれたら庭の石燈籠の苔まで除去し、当然おじさんからお小言を貰います。しかし与太郎は云われた通り実行したまでで、もちろんおじさんも変なことを云ってるわけではありません。そんな調子で物語が進み与太郎みたいな部下がいたらすごく困りますがフィクションですから赤の他人で、他人の失敗そして困惑は蜜の味で個人的には金明竹は毎回笑ってしまうのですが…って私のことはともかく。

ある日、こはる師匠が学生の前で金明竹を演じたときのこと、おじさんは「理不尽に怒りをぶつける」大人で与太郎は「いじめらててかわいそう」という反応だったそうで(P205)、予想外の反応にこはる師がその後どうしたかはキモだと思うので是非本書をお読みいただくとして。

さて「いじめられてかわいそう」という発想は「与太郎はいじめられるべきではない」という前提が無いと出てきません。でも道具屋のおじさんはいじめようとしてるわけではありません。言葉を尽くしていちいち説明しなくてもとダイジョウブであろうと信頼してるからこそ言葉を端折ることはありえるわけで(私もそれはたぶんやってしまいかねない)、その信頼が結果的に二階の水撒きになるのは良いとしても(…ほんとは良くないかもしれない)、その小言がいじめにみえるというのが個人的にショックでした。現実に与太郎みたいな人はそうはいないものの、勤務先で以前人に教えることがあって「知らないことを他人に教えるときにどこまで丁寧に伝えるべきなのか」ということについて考えたことが過去に有ったのでそこらへんに微妙にリンクしてる気がしてならず、こはる師匠の経験の記述には考えさせられたというか。もちろんここらへん正解なんか無さそうな気がするのですけども。

金明竹は滑稽な噺ではあるものの、滑稽なものの裏側にはなにかこう簡単に答えの出ない深遠な問題が潜んでることってありませんかね…って、私が書くと誇大妄想的になるのでこのへんで。