「アタル」もしくは「カイコがアタル」

いまとなってはよくわからない言葉があったりします。たとえば歌舞伎の助六由縁江戸桜という作品の中で皮肉をいう上から目線の意休に対して助六が反論しつつも最後に「ええ、つがもねえ」吐き捨てる場面があります。この「つがもねえ」は私は前後の文脈から「バカバカしい」というようにとっていました。ところが先代の市川團十郎丈は著書の中で「つがもねえ」の「つが」は甲州のことばで木の節を指していて、節のある材木は質が悪いけど高級な材木を使う家は節がない材を使うので「つが」は「無い」、つまり「つがもねえ」は「どうだすげえもんだろう」という意味であると解説しています(『團十郎の歌舞伎案内』P209・十二代目市川團十郎PHP新書・2008)。先代は研究熱心ですから間違ったことを文章にするとも思えないものの、それだと上記の助六の「ええ、つがもねえ」がいくらかぴんとこず意味不明になってしまいます。日常でも使わない語句ですし、以降「つがもねえ」はどういう意味なのか正直謎のままです…って歌舞伎の話をしたいわけでは無くて。いつかこのことを隣県へ行って訊こうと思っていました。

いつものように話は横に素っ飛びます。

土曜に用があって隣県へ行っていて、帰京する電車を遅めのにし、行き掛けの駄賃に笛吹というところの県立博物館へ寄っています。網野善彦さんが関与していた影響か展示が視覚的にわかりやすくかつ深みにはまるようになっていて、つい見入ってしまっていました。いまは桃や柿やブドウなど果樹生産が盛んですがかつては養蚕県でその資料もあり、その中に(カイコを荒らす)ネズミ除けの猫の御札と説明文書があって、その中に「カイコがアタル」という語句がありました。その「カイコがアタル」という語句を以前にも目にしたことがあってでもそのときはどういう意味かとれずにいて、これはチャンスだ訊くは一時の恥!と覚悟を決めて(…覚悟を決めて?)近くにいた職員の方に質問をしています。今となっては使われてない言葉でその職員さんも知らず、加えて学芸員さんが不在だったものの機転を利かせて即座に資料室に連絡を取ってくれ、資料室へ誘導されています。資料室の方に質問趣旨を告げると過去の養蚕の特集展示をしたとき資料を引っ張り出してきて、5分ほどで養蚕は年によって出来不出来≒当たり外れがあることや、その上で、狙いどうりに上出来なものができることを「カイコがアタル」と表現していたことを突き止めています。

謎が解けるのは気持ちが良いもので頭を下げて退室しています。(博物館というのは本来そういうものかもしれませんが)有形のものだけでなく言語という無形のものまで収集して保存していることにちょっとした感動を覚えていて

ブドウ畑を横目に見ながら駅へ向かう帰り道ではふるさと納税をしようかな…などと考えていました。これを書いているのは優しくされると貢いでしまいかねないチョロいやつです。

でもって東京に戻って来て、歌舞伎座の広告を眺めて「つがもねえ」のことを思い出しました。ひとつ疑問が浮かぶと別のなにかを忘れてしまったわけで。チョロいどころか鳥頭ですあははのは…って、冷静に考えたらそれじゃダメじゃん