首相秘書官の発言についての雑感

これからめんどくさいことを書きます。この国の憲法の24条に

24条1 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない

2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない

という条文があります。1項を眺めると「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」と書いてあります。ところが2項を読むと「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」とあります。1項だけ眺めると婚姻は異性間に限るように読めますが、2項を読むと婚姻に関する法律は個人の尊厳と両性の本質的平等が関係してくることがわかります。もし同性婚というものを考えるとき、1項の条文そのまま読むと難しいですが、2項を考えると同性婚の制度が無いことは(つまり異性愛者には当然に認められる婚姻が同性愛者に当然には認められないのは)個人の尊厳と両性の本質的平等の観点からどうか?といわれると疑義がけっしてゼロではありません。実際、去年の11月に同性2人が出した婚姻届不受理に関する裁判で東京地裁はこの点についての疑義を明らかにしています。もちろんその判決が確定したわけではありません。が、個人的には注目に値する意見であると思っています。

ついでに書いておくと「個人の尊厳」とか「本質的平等」という言葉がでてきますが、別に難しく考える必要は無くて、飛躍をご容赦いただきたいのですけどその人の属性によって扱いに不平等があってよいのか?ということです。映画『翔んで埼玉』では埼玉県民であるがゆえに「そこらへんの草でも喰わせておけ」と云われてしまいますが、現実にそのような対応はNGであるわけで。

話はいつものように横に素っ飛びます。

今朝の毎日新聞では首相秘書官が同性婚について「社会的影響が大きい。マイナスだ。秘書官室もみんな反対する」という発言があったことを伝えています。「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ」という発言もあった旨の記事を読んで思わず『翔んで埼玉』みたいだな…と乾いた笑いしか出てこなかったのですがって、私の感想はどうでもよくて。

どのように社会的影響が大きいのか?どこがマイナスなのか?かりに社会的影響が大きいとしてもあるべき個人の尊厳や本質的平等をないがしろにしてなぜ少数派がそれらを受忍しなければならないのか?それらが同性婚を阻む理由に含まれるのだとしたら、(ひたすら軽蔑に値する話ではあるものの)可能なら国会などで訊いて欲しかったのですが、更迭されてしまっています。

さて個人的には『翔んで埼玉』はフィクションとして楽しめたのですが、特定の属性を下に見ても良いと考える『翔んで埼玉』的な人が権力のそばに居て理屈とは関係ないところで事態が進行していると知るといくらか絶望的です(これを書いているのは特定の属性側の人間です)。もっとも絶望したところでなにかが解決するわけでもないので投票などでできることから意思表示していきたいところであったり。