「ジェンダー平等を掲げるのは時代遅れ」雑感

いかに注意力散漫かの証明になってしまうのですが、冷蔵庫のドアにマグネットで張り付けて置いたメモを忘れて出勤してしまうことがあります。退勤時にヨーカドーで思い出せればいいのですが残念ながらそうは問屋が卸さないことがあります。帰宅してから冷蔵庫の前のメモをみて「あ、忘れた」となり、買い損ねた牛乳とか食パンを調達しにファミマまで行くことになります。

そのファミマにはいまお母さん食堂という惣菜コーナーがあります。特殊事例かもしれませんが死んだ父も台所に入ることを厭わなかったのでその名前に私はずっとかすかな違和感がありました。案の定、違和感を持った高校生などを中心に署名活動などが起こったことを新聞などで取り上げられていました。記事を読んで、調理の仕事が女性という意識の内面化になるのではないか、という訴えはわからないでもないな、という感想を私も持っています。もっともファミマは「お母さん食堂」の名前を変えてはいません。いったん定着したものを変えるのはコストがかかりますし、政治的なことよりもビジネスを優先したのかもしれませんが。

話はいつものように素っ飛びます。

テレ朝のCMで「ジェンダー平等を掲げるのは時代遅れ」ということを仕事帰りの女性に云わせるセリフがありました。私はカタカナ語が得意ではないのでジェンダーについての理解が間違ってるかもなんすけど、性別による役割分担の意識について以前より変わってるかといったら・社会から求められる「らしさ」から自由になってるかといったら、(「お母さん食堂」の事例のように特定の性別に特定のらしさや特定の役割が片寄ってる状態を是正しにくい現況を考えると)ぜんぜんそうはなっていないような気がしてならず、「ジェンダー平等を掲げるのは時代遅れ」といわせるCMの設定はどこかこの世のものではないような気がしました。

仮にジェンダー平等というのを意識して作れというならば私であったら仕事帰りの女性におでんでもなんでもいいので夕飯を用意する男性もしくは同棲してる同性を画面の中に出す演出を提案します。

言葉や映像というのは表現者の脳内を映し出します。人は脳内で考えた以上のことを表現できません。テレ朝の番組は朝の依田さんの天気予報のある報道番組しかみてませんが、なんだろ、テレ朝って現況に関してそういう認識だったのか、という感想を持ちました。ちょっと残念というか。