お前

よく野球の話と政治の話はタブーといいますが、野球の話をちょっとだけ。中日のチャンステーマのサウスポーの中の「みなぎる闘志をふるい立てお前が打たなきゃ誰が打つ」という歌詞のお前という言葉は選手に失礼では?という問題提起の記事を読んで、お前というのは同等とか目下に使う言葉でもあって、確かに技能を持つ人に対しての敬意があれば「お前」って云わないよなあ、云われてみればそうだよなあ、と妙に腑に落ちています。

いつものように横に素っ飛びます。

カイシャに入って間もない新人だったころに大阪に放り込まれ、怖い先輩のそばで仕事をしたときしょっぱなは名乗っても「東京」とか「お前」と呼ばれてたのですがその日のうちに「名前覚えといたるわ」と云われて再度名前を名乗ったことがあって(なんか失敗したかなと直後はびくびくしたものの)翌日以降ちゃんと覚えて貰えて、名前を呼ぶというのはその他大勢じゃなくてちゃんと個人として・一人前として認識してるよ、という意味を理解しています。その経験があるので私は他人に対して「お前」はまず使いません。他人に対しても知ってる人にはできうる限り名前で呼ぶことが多いです。「お前」じゃなくて選手を名前で呼んでやってほしいという与田監督の発言趣旨は理解できますし、たぶん選手も喜ぶでしょう。

とはいうものの。

オリックスに「欲球根性~河内のオッサンの丑~」というチャンステーマがあります。

気合やでここまでぶち込め(来いやー)

お前のボールが欲しいのは(わいやー)

ここらで打たんとわて泣くで(おいよー)

とびきりでらいの持ってこい

おもくそごついの持ってこい(ここやー)

 「欲球根性~河内のオッサンの丑~」

という内容なのですが一番最初に聴いたときにはつい吹き出しちまってます。詩に必要なものがなにかと云われるとわからないけど欲球根性は河内のオッサンが大阪ドームでの試合展開をハラハラしながら苛立ちとともに見守っている光景が手に取るように想像でき詩として成立してる気がしたのですが、ってわたしの解釈はともかくとして、もう5年近く愛され歌われ続けています。「ここらで打たんとわて泣くで」というのがあるので「とびきりでらいの」もしくは「おもくそごついの」を打てることが前提でさらに根っこがおそらく懇願調だからいままで誰も問題にしなかったのかもしれません。お前という言葉はいまの時代にそぐわず好ましくないかもしれないのですが、怒られそうなことを書くと・矛盾したことを書くと、個人的にはよくできてると思うので欲球根性のお前はできれば見逃して欲しいなあ、というのがちょっとあります。でも難しいかなあ…