続・まぶたのオレンジ問題

あまの原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも、というのが百人一首にあります。短歌を理解するのには歌われてる状況を想像するのがいちばんかもしれませんが、小倉と云えば小倉餡で三笠と云えば文明堂のどら焼きしか知らぬ東京の人間にはムリな話で、この歌は文明堂のどら焼きの山の向こうに月が出てることを歌っているわけではないと悟りつつ、関東の人間に理解しにくい歌をいくつもいくつも選びやがってと藤原定家への殺意が芽生えていた時期が10代の頃にはありました。ほんとに腑に落ちる理解できたのは奈良へ行って奈良の東に三笠山というのがあるというのを確認してからのことです。

いつものように話が横に飛びます。

10代の頃に女性アイドルではなくて光GENJIの曲の「太陽がいっぱい」に妙に惹かれていました。しかし前にも書いたのですが歌詞が理解しにくく、百人一首を理解するときに使ったように状況を想像したいのですが、30年近く経たいまでも納得のいく解にたどり着けていません。以下、一部抜粋します

みんないつだって自分に精一杯拗ねてちゃなにもおこらない

水着をほどいたら砂がこぼれてく

まぶたのオレンジはずませてごらん

幾千分もの奇跡を超えて巡り合った夢君にしかわかりあえない

これからそこまで泳いで瞳をさらいに行くのさこの夏にこのときに

太陽がいっぱい

光GENJI太陽がいっぱい

そのまま読むと水着をほどいたら砂がこぼれ、まぶたのオレンジを弾ませるべき状況になった、ということがわかります。でもまったくなんだかわかりません。

一番よくわからないのは「まぶたのオレンジはずませてごらん」で、ほんとにまぶたにオレンジを置いて何らかの方法で弾ませたら痛いに決まってますから、実際にまぶたでオレンジを弾ませることは考えにくいです。 だとするとなにかのたとえかもしれぬのですが、アイメイクがオレンジなのではないか、という仮定をいまはします。オレンジ色のアイメイクをして一時的に目をつぶったのではないか≒まぶたのオレンジが弾んだ、というのが考えられるのですが、「君にしかわかりあえない」というのがあるので、2人いるはずのどちらかがそうしたはずです。「水着をほどいたら」があるので、目をつぶる理由はそれしか考えられません。でも人前で水着をほどくか?と云われると若干の疑問がないわけでもありません。しかし「これからそこまで泳いで瞳をさらいに行くのさ」というのを考慮するといくらかの距離があるわけで。以上のことを勘案すると、ある程度の離れた距離に2人いて、片方が水着をほどいて(脱ぎ捨てて?)泳いでもう片方のところに行く途中で、もう片方は驚いてオレンジのアイメイクをしててまぶたをぱちくりしてる、という状況が考えられるのですが。…って、なんだろ、つじつまはなんとなくあうものの・情熱的と云えば情熱的なんだけど、歌詞を追えば追うほどアイドルが歌うような曲ではないどこか変態チックな解釈になってしまうのです。私が変態の部分があるからそういう解釈になってしまってるのかもしれませんが。

わけわかめでも作詞の大江千里さんに殺意を覚えないのは歌詞がわからなくても小気味よいメロディとトリッキーなリズムに惹かれたからかもしれません。はてな今週のお題が「わたしの好きな歌」なのですが、歌って歌詞について完全に理解してなくて惹きこまれることってありませんかね。恥かきついでに書くとスピッツのロビンソンも好きなのですが歌詞が完全によくわかってなくても惹きこまれちまっています。