恋の歌の世に多きはいかに

今年のセンター試験の国語の古文に本居宣長が出ていました。和歌について質疑応答形式で見解を述べる石上私淑言というのがあるらしく、勉強不足で恐縮なんすがはじめて知ったのですけど、その中で冒頭にけっこう興味深い問いがありました。「恋の歌の世に多きはいかに」。
テスト対策で百人一首を必死に覚えていたころ「明けぬれば暮れるものとは知りながらなほ恨めしきあさぼらけかな」というのを「明けたら暮れるって…なにあたりまえのこといってんのこのオッサン」という侮蔑とともに記憶してて、なにを云ってるのか(童貞でうしろの処女を失っても居なかった無垢な十代だった)その頃はよくわからない恋の和歌がけっこうあって、なんで(意味のわからない)恋の歌がこんなにあるのかというのは私も持っていた疑問でした。云われてみればいまでも理由の正確なところはわからない疑問でもあります。人の抱くいろいろな感慨の中で特に恋は切実なものなので上代から多く詠まれてる、っていうのがいちおうの答えで、わからないでもないけどはぐらかしてる印象がないわけでもない微妙なところではあるのですが、つまるところ上代といい平安期といい(もしかしたら現在も)、日本人というのは恋に悩まされ続けてるからこうなった、ってなことなのかもしれません。ヒマがあればよその国の詩歌における恋の割合を調べてみたい気がしないでもないです。人類共通の悩みなのか、果たして大和民族だけの特徴なのか。
君待つと吾が恋をれば我が宿のすだれ動かし秋の風吹くっていうのが万葉集額田王の歌にあって、「いつくるのかなあ」とひとりで待っていたときに風で簾が動いてびっくりした、という意味にとってるのですが、私がこれを理解したのは先にシャワーをつかわせてもらってシーツにくるまって待っていたとき、ちょっとした物音にびっくりしたからです。肌で理解した経験を何度かしてから、短歌がよくわかってないくせに短歌に興味を持っているのですが、あまり人には云えません。そして知らなくてもいい世界なのですが、云えなくて知らなくてもいい世界ほど、なんだか興味は尽きません。