「青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない」を読んで

本作は春先までMXでやっていた(いまはTVKでやっている)「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」の原作のひとつです。

ネタバレをお許しください。青ブタシリーズの主人公の梓川咲太には梓川かえでという妹が居ます。その主人公の妹の梓川かえでが本作の主人公です。過去にメッセージを既読スルーしたことでSNSなどで罵詈雑言を浴びせられ、(詳細は本作をお読みいただくとして)結果として身体中が痣や傷だらけになる症状に罹ります。兄である咲太はいまは助けてあげることが出来なかったことを悔やみつつ起きたことのすべてを結果的に受容して症状が落ち着いている妹のかえでの面倒を見ながら生活しています。かえでは極度の人見知りでいわゆる「ひきこもり」で家から一歩も出ずつねに一日中にパンダのパジャマを着用して留守番する毎日でした。しかし兄咲太に恋人ができたことから独り立ちの必要を痛感しはじめます。そのかえでの独り立ちへの挑戦とかえでの過去とそばにいるお兄ちゃんの孤独と不安という、兄と妹の苦闘の物語です。詳細は本作をお読みいただくとして、苦闘の物語を直視するのはけっこうしんどいですが週末に行った通院先の待ち時間と調剤薬局の待ち時間と待ち合わせの場所へ行く浅草線の車中がしんどい分だけ豊穣な時間と相成りました。でもって物理の話はほぼ出てきません。ただ読むほうが傍観者でいることを許しません。たとえばイヤなことから逃げ出す恐怖について述べたところでは

試験前に勉強をサボってるときに感じる、あの独特のそわそわした感覚。勉強しないのは楽だけど、遊んでいても楽しいわけではない(p154)

というように読んでるこちらの首筋をも刃物でそっと優しくなでるような文章は健在です。

かえでは独り立ちのために克服したい小さな目標をたてつつそれをクリアしてゆく決意をします。ひとつが電話に出ることです。極度の人見知りで兄以外からの他人から電話をとることができなかったものの、兄梓川咲太の恋人の桜島麻衣の善意の協力で桜島麻衣からの電話で練習をしてクリアします。が、いちばん最初はストレス負荷がかかったのかダウンします。そのことを受けて・想定外のことが起きてしまったので「理解するって難しいわね」と桜島先輩がつぶやくのですが、電話を容易につかいこなせる桜島麻衣の視点からあらためて述べることで電話に出る≒他人と声だけで意思疎通するというあたりまえのように誰もができるはずのことに苦闘する他人(かえで)の姿に改めて気が付き、読んでるこちらも同質性の無い他人を理解すること難しさや意思疎通することの厄介さに気が付いてを改めて思い知ることになります。話がズレちまうんすけどどってことないことかもしれませんが、事象を羅列するだけでなく、その意味について読んでるこちらに再考を求める引っ掛かりを作ったところにちょっと唸っちまいました。話をもとに戻すと電話に限らず、登場人物が挑戦しようとするかえでにそっと寄り添って一緒に乗り越えようとするところがとても好ましかったです。

もうひとつ書くと、記憶ということに関して考えさせられています。作中でかえでに過去の記憶がないことに触れられています。そして忘れていた過去の記憶がよみがえりはじめて「過去の記憶がないかえで」として残された時間は少ないと悟ったかえでは(いずれいまのおのれの人格が消えてなくなるとしても)兄に笑顔になれる記憶を一杯残したいと考えて行動していたことが明かされます(アニメ放映時にはこのくだりで涙目になったのだけどそれはともかく)。人はなんで生きてるんだろうという根本的疑問を考えないまま40年以上を過ごしてきましたしその答えなんて知ったことではありませんが、一緒に居た記憶を残すということの重要性をなんだか思い知らされた気がしました。

ライトノベルズがどういうものかは相変わらずわかりませんが、本作は万人受けするわけではない、けっこう苦い物語です。でも出会えてよかった本です。

くだらないことをひとつだけ。作中、ブリ大根を作るシーンがあります。咲太はブリを煮すぎてパサパサにしてしまったらしいのですが、桜島麻衣の作ったものはかえでによって「ブリがブリッとしている」という評価が下されています。ブリっとしているっていう表現は謎なのですがポジティブ評価であることはなんとなくわかります。でもどうやって「ブリっと」仕上げたかは記述がありません。素人考えでは大根とブリを別々に煮たのかなあ、ということくらいしか思いつかず、そこらへんを書いて欲しかった気が。もっとも藤沢の隣の茅ヶ崎ではブリが釣れるので、相模湾の新鮮なブリをつかってブリ大根にしたのかもしれずそれがブリッとしているのにつながるのなら、

いいなあ、藤沢…という羨望が、魚に恵まれてるわけではない武蔵野台地の上の民としては読んでてありました。

[追記]

わたしははてなブックマークをやってないのと今後もやる気がないので、こういうかたちで返信させてください。

できない気持ちはできる人にはわからない、とも書いてあって、他人と電話で会話できる人間は他人と電話で会話することができない人の他人と電話をすることの難しさについて簡単には理解できないのかも、と個人的には考えています(他人と電話することに限らずおそらく外出できないひきこもりもそうなのかもしれませんが)。それが正解かどうかは別として物語としての解決策は理解できないけどより良い方向を目指して根気よく寄り添う、というスタイルでした。

最後にくだらないことをひとつだけ。以前「ライ麦畑でつかまえて」を他人に薦められて読もうとして挫折した経験があり、以降、他人が良いと思うものをそのまま受容できない変なところがある自覚があり、なのでおのれの読むものを他人にも薦めることに自信がありません。この本をすすめることに躊躇があります。

あと、レジへ持って行くときにちょっとだけ恥ずかしさがあったことを申し添えておきます。