カバンの中身

十代のとき一度だけ警察手帳っぽいのを提示されて四ツ谷駅前で「カバンの中身をみせてもらってもいいですか?」という経験をしたことがあります。英検のテストのあとでしたから必要最小限のノートとか筆記用具しか入れてなかったのでほんとに確認しただけで終わりました。ただ小さなことなんすけどこのときのこの経験は「いつどこでカバンの中身を確認されるかわからない」ということを痛感させるには十分でした。えっちな本を買ったときに「カバンの中身をみせてもらってもいいですか?」って云われるのは嫌だなあという意識につながり、買うたびにおそらく変に意識していくらか挙動不審になってたはずです。社会人になってからは面の皮があつくなったのでそれほどではありません。が、同行者が大人のおもちゃをもってたときにホテルを出てから上野駅まで、頭の隅で「カバンの中身みせてもらっていいですか」ってあったらやだなあと、妙にどきどきしてました。たぶん「隠さなくちゃという意識」が「隠さなくちゃいけないと思ってる対象」をより意識させて人をより挙動不審にさせたりほのかに緊張させたりするのではないですかね、って話がずれた。
はてな今週のお題が「カバンの中身」なのですが、いまは常に持ち歩いてるのはスマホや折り畳み傘、手帳と筆記用具とメモ代わりの小型リング式ノート、ポケットティッシュの予備にウエットティシュ、コンタクトのケア用品一式にメガネ、あとカイゲンと、クロレッツのキャンディなどで特筆すべきものは残念ながらありません。強いていえば風呂敷です。ある程度のまとまった資料を手持ちで持参するときなどに私物の風呂敷をつかうことがあります。もちろん使い終わったら畳んでカバンの中に入れておけばオッケイ。融通がきくし便利なんすけど、メジャではないかもしれません。