ここ数年の間に市民権を得た言葉にLGBTという言葉があります。Lesbian,Gay,Bisexual,Transgenderの略でわりと便利な言葉で、男女という枠組みしかなかった時代、言い換えれば男はらしくとか女らしくっていうのしかなかった時代に比べ、「男は男らしく女性が好きなのがあたりまえ」という意識から「男は男らしくしなくてもいいし同性でくっつくことがありえる」といったように変わってきたのは歓迎すべきことかもしれません。ついでに書いておくと私はおそらくバイセクシュアルに属します。
LGBTという言葉がありつつも、バイセクシュアルであることを基に淫乱とよばれた経験からゲイセクシュアルはバイセクシュアルを同列にみてないのではという強烈な猜疑心と同列に並べられることに違和感があります。もちろんこれらは個人的な体験に過ぎず、おそらく傍からみればそれは些細なことなんだろうなあ、という気はします。そもそも名前というのは「傍から見る」ときに「なんとなく違う人」っていう総称かつ簡易で便利な分類であるのではないか、ゆえに当事者の意識なんて関係ないのではないか、とか、いろいろ考えるところはあるんすがそれはともかく。
ゲイパレードとはいわずいまはレインボーパレードというのですが、東京ではLGBTのパレードがありました。そのことを知りつつも・それが正しいことと知りつつも、なんとなく個人的体験や抱えてる猜疑心などの些細なことが気になって、敬遠する気持ちが強かったり。