糸目


下部の駅のそばに湯之奥金山博物館というのがあって(というか怒られそうなことを書くと下部は温泉を除けば森と博物館とミネラルウォーター工場しかない)、時間があったので行ったら経済史の知識の補完になるような場所で、興味深く見学しました。また砂金採り体験もできます。ただし30分やって3粒とかそういうレベルですが。
下部のあたりは甲斐武田家の治世に金山として発展し、徳川幕府に移って江戸中期ころまで下部のあたりには金山がいくつもあって、純度の高い金を採掘していたようです。武田家の治世末期のころから甲斐の領内で産出される金は通貨に加工され地金重量と額面表示が一定して・比例して作られ甲州金として甲斐の領内で流通し、武田家滅亡後徳川家の治世になっても・徳川幕府体制になっても江戸や上方の貨幣制度とは別に甲州金は甲州独自の通貨として甲斐国内では通用していたことを今回はじめて知りました。ただ、江戸時代に江戸幕府が金や銀の改鋳(純度をさげること)をやるのですが、甲州金はいっさい改鋳をしなかったので、江戸幕府の流通させる金貨幣より甲州金は品位が高くなり、さらに江戸幕府の改鋳した金貨が甲斐に流通しだすと甲州金が甲斐国外に流出し・甲斐国内でも使われずに死蔵される結果になり、地方通貨としての甲州金は通貨として終焉をむかえます。
以下は山梨中銀の解説文の受け売りになるのですが、甲州金には糸目という通貨単位があり、「金に糸目をつけない」という言葉は甲州金から来た、ということに(山梨中銀説をとると)なっています。いままで気にもしなかったのですが、糸目が通貨単位であったことをはじめて知りました。なぜ糸目という言葉が残ったのか謎なのですが、匁や両に比べて信用力があったのかも。でもって実物が消えても言葉は生き残ることがあるのだなあ、と。