以前勤務さきに、女の人の名前はそんなに憶えないけど男の人はきっちり覚えていて声をかける、という先輩がいました。最初はそんなこと気がつかなかったのですが、「くすだっち(仮)オハヨー」とニコニコいうものの、女性陣にはあんまり氏名を云って声をかけないのです。最初、女性陣がそれに気がついて、いつの間にかあの人はゲイではないか、ということになっていました。気を付けろっていう注進があったのですが、別にゲイでもなんでもない人なんだけどしかし周囲の女の人はその人がゲイであるということを疑っていました。嫌悪感をむき出しにしていたわけではないのですが、世の中のゲイという存在に対して、好奇心でわりと面白半分に好き勝手いうのを目の当たりにして≒おそらく同格とみていないのを目の当たりにして、私生活を詮索するのは野暮なんじゃないっすか、って若輩ながら意見しつつ、私は勤務先ではカミングアウトということを考えなくなりました。配属先は変わりましたが場合によっては誰もが好意的であるはずはなく、あんなの相手にしなくちゃなのか、ううむ、めんどくせえ、というのが先に来ます。勤務先以外でも云ったことはあんまりありません。告白してきた同性にはおのれの性のことを告げたことはありますが、性のことは墓場まで持って行くつもりです。
同性二人では入れないラブホというのが東京にはあって、なんだかなあ、というのがあったりします。同性2人と異性2人では違うなあ、と感じることもけっこうあります。そんななか、LGBTのパレードに参加する人たちの影響からか、社会の理解が亀の歩みのようではあるけれどちょっとずつ進んで、(保険などの)制度が異性2人のカップルと同等の扱いで受けられるように変化していっている中で、パレードに参加する人に敬意を覚えると同時に、カミングアウトもせず、パレードにも参加しないおのれの弱さってのを改めて振り返ると、ろくでもないヤツかもしれないなあ、ってのはあったり。
「正しいなにかにコミットしない」のが「正しくないこと」なのか、てなことは今でも考えてるんすけど、パレードの報道をちら見して、誰もが困難に立ち向かう正義の闘士である必要はぜんぜんないはずなんだけど、正義の闘士に成れないおのれがなさけなかったり。