YDK

「なにげに」という言葉がありました。「なにげにすごいよね」という言い方なら「ほんとはすごいよね」という意味合いでつかっていました。過去形で書いたのは私が育った多摩では十代の頃よく使っていたけど、多摩以外ではそんな言葉、それほどメジャではないからです。言葉というのは云うほう・書くほうと、聞くほう・読む方が共通の言語というか同じ言葉を理解していないとなにがなんだかわからなくなります。社会人になって名古屋に赴任した時に「あんばようやってちょーよ」と云われてなにを云われたかまったく理解できなかった(あとになって「塩梅よくおやりなさい」っていう意味をしった)こともあり、なんとなく言葉に敏感になり、誰にでもわかる言葉、というのを意識するようになりました。ここらへんあくまでも個人的事情です。
はてなのお題が「流行語」なんすが、今年の流行語ってのに「YDK」というのがありました。意味を知っていないとなにがなんだかです。何年か前の「激おこぷんぷん丸」とか「カム着火インフェルノォォォオオオウ」くらいまでは意味を察することができたのですがYDKはほんとに知らなくて訊ねたくらいなのですが本来は「やればできる子」という意味らしいのです(呆気にとられた)。YDKと発してどれくらい通じるか、謎であったりします。でもって世の中が「わかる人だけわかればいい」というタコ壺化してるというか、そんな実感を受けます。まえにはてなのどこかで「なう」のつもりでフランス語の「まんとなん」と書いてる日本の人が居てとても不思議に思えたのですが、誰もが知ってるわけではない言葉を放置する・わからないひとにはわからないまま置き去りにする言葉が増えてる・どんどん排他的になってるような社会に変化してきている気がしてならんかったり。
それが悪いのか、というとなんともいえません。ただ誰にでも伝わるように文章を構築する、というのは「考える」ことと表裏一体です。「YDK」もそれだけでは伝わるわけがありません。なんとなくこの社会は「考えなくなってきてるのかな」とか考えちまったんすけども。