蔵から遠く離れて

蔵という小説が私が中学か高校のときに毎日新聞に掲載されていて、主人公は造り酒屋の一人娘なのだけど目が良くなくて途中で失明します。私が目が良くないこともあってしばらくしてから親に主人公にダブって見えた、これはと思える人とそばにいる・いてあげることができるのならそのほうが良いんだよって親にいわれたことがあって、以降どこかでずっとひっかかってて、あんまり「どの恋がいけない」とかがよくわかってないというかいまいち根っこの部分でぴんと来ないところがあります。ぴんとこないんだけど、云うたらややこしいことになりそうなことはあんまり他人には言いません。
ぴんとこないままオトナになってからしばらくして云えないようなややこしいことが増えたあと、過去に異性の恋人がいた人と付き合うようになり、その上を通過した人が異性と婚姻をしました。くたばっちまえとかまったく思わなかったとか内心未練がなかったというとうそになりますが、どちらかというと充分愛情を注いでもらったので、時間をおいてそいつから離れるつもりでした。しばらくしたある日、呼び出されて逢ってどうでもいいような話をしたあとに、ふと異性と同じベッドに入るのがしんどい、というようなことをぼそりと洩らしまた。筋を通さなくちゃいけないと咄嗟に思って、聞いたこちらがなにかできるわけでもなく根拠なく抱きしめてあげることくらいしかできませんでした。ただいつまでたってもお子さんは生まれず・幸福かどうかわかんないような状況のあと、減ってた電話やメールが増えると嬉しいと思うようになっちまいました。同時に、おそらくおれはまともな死に方しないだろうな、と。嬉しいなんてのは思ったらあかん気がするのですが、そんなことを考えたのはどんなかたちであれそばにいるほうがいいというのと、どの恋がいけないというのがぴんとこないせいもあったかもしれません。


異性がまったくダメというわけでもなかったのでもしかしたら異性とも恋をして平和な家庭って築くことできるかも、と思ってた時期もありますが、不思議と考えないようになっちまいました。婚姻について問われたりすることは全くないわけでもありません。でも30半ばを過ぎてシゴトが忙しくなっちまい、その背中を周囲に見せているとその話を振ってくる人はあんまりいません。同棲も婚姻も熱病のような恋愛と異なり共同体運営で、おそらくなにを優先するかの問題で、家庭より仕事を優先しそうなやつである、というのは良い物件ではないと思われてるのでしょう。いつか後悔する日が来るかもですが、どうせろくな死に方しねーかも、と思うようになってからはだったら生きた痕跡を残すためにいまは日々精一杯職務に専念することのほうが優先すべきことかなあ、と。