地獄の一丁目

私はこのブログを書くにあたりはてなに登録しようと思ってidを取得したのですが、マーラーの5番のCDが目の前にあったのでグスタフ・マーラーという作曲家の名前からgustav5というのを登録しました。もちろんマーラーと縁もゆかりもありません。ただ冗談抜きで2番・5番・6番・8番・9番は数えたことはないものの3ケタ以上ききこんでていますってそれはどうでもいいのですが。
で、マーラーという人はキリスト教に信仰を改めたもののもとはユダヤ人であったりします。マーラーの死後、作品の演奏はされてたのですがナチスが台頭するとマーラーの音楽は退廃的であるというキャンペーンがなされ(マーラー以外にもクルト・ワイルなどが標的にされた)、ドイツの影響下では排斥されてしまいます。それが効いたのかどうかはわかりませんがマーラーはあまり演奏されない時期があったもののアメリカのレナード・バーンスタインが積極的に取り上げてリバイバルをとげます。

マーラーの曲はバッハ・ブラームスベートーヴェンといった作曲家に比べて、病的で健康的でない・首尾一貫性がない・若干わかりにくいところがあります。いまから考えるといくらか噴飯ものなのですがその音楽が退廃的といわれると感覚的になんとなく判るような気がします。
しかしほんとに笑えるのか、というとどうなんだろう、という気もしてくるのです。わかりやすいもの、健康的なものが好まれそうでないものはレッテルを張られて追いやられというのは今でもある気がしてて、たとえばいわゆる良い本とかいわれるものがあって、対比して売れる本などをさして「ああいう本を読むやつはバカ」みたいな無言の圧力があるところはおそらくそれは地獄の一丁目だし、ナチスを笑えるのかと云ったらどうなんだろ、と思うのです。でもってそういう世界にこの国が近づいてる気がしないでもないのですが、それは私が教養とかと関係ないところにいて、退廃的なものに若干惹かれるので敏感になってるせいもあるのかもしれませんが。