やげんぼり・両国

テレビに影響される良くない子なのでブラタモリを見て東日本橋馬喰横山へ。

そこにあるのが薬研堀不動尊でいまはそれほど大きくはありません。川崎大師(念のため説明すると神奈川の真言宗の、関東では有名な古寺)の東京別院で、目黒・目白と並ぶ江戸三大不動のひとつです。

お不動さんの前は薬研堀といい、もともと運河だったところを埋め立てて町人地にしてそこに人が住まうようになったところです。やげん堀という商標で浅草で売ってる七味唐辛子が有名なのですがそこももとはここのはず。
で、あんまり有名な落語ではないのですが「四つ目屋」という噺があります。ある武家に奉公に出た年頃の娘さんが図らずも妊娠してしまうのですが、相手がだれか絶対云わず、持ち物を調べたら薬研堀の四つ目屋のナニかに似た道具がでてきたんすけど、そんなもので妊娠するわけもないはず、と思ったら【左甚五郎作】とあった、というのですが、長いこと薬研堀のあたりにそんなものが売ってたのか、と疑問だったのですが、ブラタモリを観てて両国橋のあたりは物見遊山に出かける場所・繁華街であった、というのを知って腑に落ちた次第。もちろんいまは見当たりません。別に欲しいわけでもないのだけど、お不動さんのお参りの帰りにでも気軽に買えたなら、なんだろ、昔のほうがおおらかだったのかなあ、なんてことを考えたのですけど。

両国橋です。下総と武蔵を結ぶから両国なんすが、いまの千葉県はもうちょっと東になります。船は水上バスで、浅草と浜離宮を結びます。観光船みたいなものっす。

両国橋際の、モダンといえばモダンすぎる、謎の球体。

で、この両国橋のあたりに「百本杭」というのがあったらしいのです。芥川の短い文章にでてきた記憶があるので芥川の時代にはあったはずで(芥川龍之介は両国の出)、ブラタモリの以前の放送の中で隅田川が以前は氾濫してた旨の説明があったので、百本杭は護岸のためかなあ、と、想像してるんすけど。

両国の回向院です。大火で焼死した江戸の町人を弔うためにはじまり、生きとし生けるものをすべて供養する理念があるので猫塚もあります。墓だと鼠小僧次郎吉の墓が有名で、いまでもお参りの人がいます。するりと入れるから受験のお願いに、ってなのもあるんすけど、泥棒でも義侠心がある場合、江戸東京ではどこかヒーローです。ここらへんちょっと東京の不思議なところかもしれません。
で、ブラタモリの中でもやってましたが、ここでの勧進相撲がいまの東京の大相撲につながります。

その名残が、回向院となりの両国シティコア(実は信託銀行が都から受託して建てたものなんすが巧くいかなくて都民からすると頭痛のタネなんすがそれはともかく)にあります。うっすら丸いふちどりがありますが、土俵あと。

回向院のすぐそばにあるのが本所松坂町公園・吉良邸あとです。公園といっても遊具はありません。赤穂浪士が討ち入りしたところです。戦前に両国の有志が資金を出し合って土地を買い上げそのまま保存し、墨田区がいま管理してて、吉良公の首を洗った井戸なんてものが当時のまま残ってます。東京は四十七士びいきな土地柄かもしれなくて赤穂浪士ゆかりの地はあちこちにあって、300年経た今も江戸が消えずに残ってます。義というのを大切なもの、とどこか考えてるのかもなんすが。
ちょっと脱線します。
ものを知ってるほうは知ってる状態が当たり前なのでいちいちいわないのだけど、知らないほうはなにがなんだか判んない段階で手探りで試行錯誤してその仮の結論をだしたら知ってる相手から慇懃に結果だけひとことそれは違うとかいわれると「やってらんねー」とかになりがちです。なりがちです、というのは俺はそうなりやすいけどほかの人が必ずしもそうなるとは限らないからで、でもなることは容易に想像できます。
ものを教えるというのは実は難しくて、知ってるほうは必要なことだからって一から十までばばーっといってしまうのですが、知らないほうは下手したら混乱するだけだったりします。その混乱するほうをみたり試行錯誤したりをみて、ものを知ってるほうは「こんなこともわからないのか」と思っちまいがちなのですが、そういうときに表情をおもてに出すか・出さないで相手にあわすかとか、対応に人間性が出てきたりします。
でもって人間性というか、そりが合わないとか、いかすけない人というのはいて、実はそれらの人への対処法が人付き合いの中ですごく重要かもしれなくて、事実はともかくとして物語としての忠臣蔵というのはたぶんその「ものを知らないやつに対する蔑視」をあらわにするような「いかすけないやつ」が成敗される話でもあると思ってて、「いかすけないやつ」に泣かされたことがある場合、喝采を送りたくなるんだと思います。東京のあちこちでいまだに忠臣蔵ゆかりの地であることを誇りにしたがる風潮があるのは東京には「いかすけないやつ」があちこちにいてあいついつかぶち殺したろ、と思ってる人がたくさんいるんじゃないか、と。忠臣蔵はそういう内心に明確な輪郭を与えて、いかすけないやつが滅びるかもしれない・滅びなければならない、という方向性を示してるのかなあ、と。その方向性に対する同意が四十七士びいきなのかな、と。
いかすけないやつは永遠に不滅だし、避けられない時にどうやったらそういう人と巧く付き合うか、というのも重要だとわかりつつ、いかすけないやつを斬りつけたい・成敗したいってのは、やはりどこかにあったりします。実際にはそんなことはまずしないのですけども。
忠臣蔵のことを考えると自分の中の内なる忠臣蔵というか暴力性ってのと、たまに向き合う結果によくなったりします。
話を元に戻すと両国周辺で目につくのがちゃんこ鍋屋さんです。

いちど食べたことがありますが、けっこうボリュームがあります。よそにはあまりないのでここが相撲の街なんだなあ、と実感できます。
国技館両国駅の北側にあります。

相撲見物してきました、っていいたいところですが今日は周囲を散策しただけです。高見盛が現役のうちに一度応援しに行きたいと思ってるのですがなかなか。目が悪いらしい高見盛に親近感を持ってて、高見盛を見てるとなんとなくハラハラしちまうことが多くて取り組みが紹介されようものなら食い入るように見ちまい負けるとうわああとか声をあげちまうのですが、そんなふうに場所中はいつの間にか確認するようになってました。しかし力士なのになんでハラハラしちまうのか、それを許せてしまうのか、応援してても謎なんすが。

櫓です。太鼓をたたくのは知ってたのですが、櫓の下に番付表があるのを今日はじめて知りました。

高見盛ののぼりはやはり永谷園。あーやっぱりー、というか。


以上、座布団で昼寝するにはなにかしらの躊躇があるらしい猫を横目でみながらの

両国橋周辺のレポートでした。